2016年09月27日

No.1742 木村塾パワーアップセミナー「知識と知恵の違いは?」

9月20日 大阪市北区にある手品家梅田店で第1085回パワーアップセミナーを開催。
今回のお題は「知識と知恵の違いは?」
いつものように即答でプレゼンテーションしていただいた。

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まずは、みなさんなの見解から。
「知識は学ぶもの、知恵は生み出すもの」
「知識は歴史やセオリー、知恵は新しく生み出すもの」
「知識は積み重ねるもの、知恵はなくしていくもの」
「知識は答えのあるもの、知恵は答えのないもの」
違いは?と尋ねたせいか比較する方が多い中で
「知識だけでは成功しない、知識から正しい引き出しを出せる知恵が必要」と
両者を関連づけた方もあった。

ちなみに広辞苑では、こんな定義がのっている。
知識=ある事項について知っていること。また、その内容。
知恵= 物事の理を悟り、適切に処理する能力。

私自身を振り返ると、知恵だけで生きてきたように思う。
14歳で父親を亡くし、生活費を稼ぐために中学校に行くのを止めた。
だから、みんなが知っているような知識がなかった。

しかし、ビジネス社会の中ではそれが幸いした。
知識がないから、手当たり次第にチャレンジした。
どんどんチャレンジしていっぱい失敗したが、壁にぶつかるごとに知恵が生まれた。
この知恵が問題解決へと導いた。
たくさんチャレンジしたからこそ成功した。

こうして木村塾を開催していく中で分かったことがある。
知識のある人は、理屈をこねる人が多いということ。
やってもみないで、あれやこれや言い訳を並べ立てて結局やらない。
なぜか。
それはリスクを怖がるからだ。
なまじ身に付けた知識が邪魔をして、失敗したらどうしようと怖がるのだ。

やって成功したら銭が儲かる、失敗しても経験が儲かる。
何もしないことが一番損をする。

「何とかせなあかん」を「チャンス」と捉え知恵を絞る起業家になってほしい。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ ふだんはできないプレゼン体験。初参加で楽しかった。会長や皆さんの話を聞いて新しい気付きがありました。
・ 「頭の中できちんと整理して話す」「全体を見渡して話す」。前回の浅田先生のアドバイスを意識して話しました。そして今回。「ただ話すだけでなく自分の体験談も交えて話せばいい」新たな気付きでした。
・ 「逆境はチャンスだ! 恐れるものではない」「知恵は変化を好む」という会長の話が心に刺さった。「10年で人生は変わる!」変化を恐れずチャレンジしようと思いました。
・ 3分間のプレゼンが1分45分で終わってしまい、すごく悔しかった。「知識あっての知恵。知恵がまた知識になる」というKさんの考えはすばらしい。知識、知恵。それぞれ深めて努力します。

投稿者 Katsuo : 08:31

2016年09月21日

No.1741 木村塾やってみよう会9月度例会@

9月13日、大阪市北区の手品家梅田店にて第93回「木村塾やってみよう会」が開催された。
今回の「我が人生を語る」は名古屋に本社があるidG株式会社 代表取締役の奥村昇平さん。
グラフィックデザイン制作を核として大学生の就職支援を行う。

座右の銘は高杉晋作の名言「おもしろき こともなき世を おもしろく」。
「人生をもっともっと楽しく」がモットーだ。
これまで37年間の人生を「大学卒業まで」「苦難のサラリーマン時代」「新米経営者として」
の3つに区切り棚卸した。

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1979年、滋賀県生まれ。長男の一人っ子。
調理師の父親は交友関係が広く、家の中はいつも客人であふれかえっていたという。
自身も学童期から率先して学級委員や生徒会長、キャプテンなどを引き受けた。
「そんな生徒会活動が内申点を底上げして」進学校の高校に入学。

部活では中学時代に続いて野球部に所属した。
しかし、ここでも「4番を期待されながらも万年補欠」。
自ら名乗り出て応援団長になった。
高校野球大会は1回戦で敗退したが、応援ぶりが目立って取材を受けテレビに出た。
部活引退後に挑んだ学園祭では、校長先生に「浪人しても学祭を盛り上げます」と宣言。
その言葉通り、大学祭は大成功だったが、大学受験に失敗。予備校に通った。

予備校時代も他府県から来た友達がたくさんでき、みんなでカラオケ店に通った。
夏期講習会で出会った女子高校生に告白して撃沈。
「勉強することから逃げていた」と振り返る。

1浪で龍谷大学に入学。大学時代は「サークルとコンパの両立を果たした」。
仲間と野球クラブチームをつくろうということになり資金集めに奔走した。
そのクラブは地域の子供たちを巻き込み、現在100名規模のクラブチームになっている。
実家ではご両親が石山(滋賀県)で飲食店を開業。
そこでアルバイトをしながら商売のイロハを学んだ。

将来の夢もビジョンも見えないまま就活に突入した。
就職できたのは、奥村さん自身が悩んでいたからかもしれない。
きっかけはパソコンに送られてきた「就活生のお手伝いをしませんか」という1通のEメール。
発信したジェイ・ブロードは新卒大学生と企業を結んで就職を支援する企業だ。
説明会に参加すると「この人たちと仕事がしたい」と熱くなった。
内定もこの1社のみ。「拾ってくれたジェイ・ブロードには感謝しかない」と話す。

社会人元年の2003年。「山あり谷あり仲間あり。苦難の10年」が始まった。
5時起床、滋賀の家から大阪の会社に出社し、帰宅すると2時。3時間睡眠で鼻血が続いた。
2年目には新規開拓のため名古屋支社が開設。
「新しいチャンス! 行きたい」。自ら手を挙げた。

行ってみると6畳1間の職場。「テンションだだ下がり」だったが
敏腕上司の元、売上目標5000万円に向かって粛々と仕事をした。
クライアント企業の課題を聞きオリジナル提案を続けると売上は順調に伸びた。
愛知万博とトヨタバブル、中部国際空港の開港が追い風となった。

売上は1億円から2億円に、2007年には3億円を達成。
名古屋支社は会社の中で一番元気な支社になった。
社員は11人になり、奥村さんは支社長になっていた。
しかし、2009年リーマンショックが会社を襲う。同業者も増えて業績は悪化の一途。
事業縮小で職場仲間の相次ぐ退職。
しかも、私生活では交際していた彼女と結婚を前にしての突如の破談…。
絶不調から救ってくれたのは「この世は男以外、皆女や」という人生の先輩の言葉。

再起を図り挑んだ東海地区の国立大学と企業を結ぶ大型のイベントコンペ案件で勝利し
それを機にV字回復を果たした。
奥村さんは34歳になっていた。
独立したい気持ちがふつふつと沸いてきた。
しかし、大阪営業部への異動の辞令が。大阪は8期連続赤字だった。
迷ったが「大阪を立て直すのはあんたしかいないのでは?」という母親の言葉に
背中を押され、「1年で黒字化して独立する」と決意した。

奥村さんが木村塾のセミナーに来られたのも、この頃だ。
実は「大阪木村塾やってみよう会」の主催者、門浦さんと奥村さんは
ジェイ・ブロード時代の同僚。
「より以上の成長を目指す人たちに出会って自分も起業家になろうと強く思った」
と話す。

大阪営業部に戻った奥村さんは決意の通り1年で黒字化を果たし、退職。
2016年4月、資本金450万円の会社を引き継いで今のidGを立ち上げた。
役員4人の役員を含めて社員6名。現在、自己資本は250万円。
普段は栗東市(滋賀)で在宅勤務し、名古屋の会社と関西を往来する。

「10年間のサラリーマン生活で毎年決算書と睨めっこして、
次の期になるたびにゼロになる売上やPL(損益計算書)に耐えられなかった。
これからはBS(バランスシート)に注視して、自己資本を殖やします」。
そう語る奥村さんは、10年後のビジョンとして「社員10名、自己資本1億円」を掲げる。

「人が仕事をつくり、仕事が人を育てる」
「数多くの出会いと別れを経験した中で今、私があるのは出会えた人のおかげ。
一時一時、本気になれたからこそ楽しかった。これからも未来に馳せて
仲間を大切にして人生、頑張っていこうと思います」
社会人14年目の新米起業家は、こう言い切った。

ちなみに、自己資本は会社の貯金だ。
個人の貯金と違って企業の自己資本を貯めるには「税金川」を渡らなれればならない。
10年間で250万円をいきなり1億円にするのはあまりにも非現実的だ。
役員さんが4人いるなら、1人1000万円で4000万円。これを目標としてはどうだろう。
自己資本4000万円を実現すれば、銀行から4億円の資金を引き出せる。
そのためにもBSビジョンを公言し、幹部社員共有することが大切だ。

起業家とは変化をチャンスにする人だ。
一番いい変化は向こうからやってくる逆境だが、自ら変化を起こす人にもチャンスが訪れる。
大きなビジョンを持つことは、大きな逆境を自ら課することになる。
自ら変化を起こす奥村さんの未来には、大きなチャンスが待ち構えている。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 「人が仕事を創り、仕事が人を成長させる」私もそういう想いで毎日働いています。すごく共感できます。10年後のビジョンもぜひ叶えてください。
・ 経営していくまでに何か必要か。ぜんぜん知らなかったのでやっと理解できた。
・ 「経営者は極端な見方をする」。高い目標でやってみるともっと奥村さんの可能性が出ると思いました。お互いやっていきましょう。
・ 大勢の人をまとめ、人の上に立てる素晴らしいものをお持ちの奥村さん。まじめで素直な方なので多くの人に信頼され、力を貸して頂けるのでしょう。
・ 私も自分自身の棚卸をしよう! 結婚も頑張ろうと元気をいただきました。
・ 自分の人生も3つに分けてみたらどうなるんだろう? 考えてみたいと思いました。
・ 真剣に自分の人生と向き合った人生の棚卸。包み隠さずさらけ出しての発表に引き込まれました。

投稿者 Katsuo : 00:38

2016年09月12日

No.1740 大阪木村塾BS経営セミナー 9月度開催

9月6日 大阪市北区にある手品家梅田店で大阪木村塾BS経営セミナーを開催。
ゲストスピーカーとして広告代理店(株) YU-MEプランニング代表取締役の本村優子さんに
お話しいただいた。
今年4月には、体験ツアー・オプショナルツアーの企画・運営や動画で観光PRを
する一般社団法人スマイルトラピック協会も立ち上げ、理事長も務める。

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本村さんは1974生まれ。
毎日放送ラジオテレヴィセンターに10年間勤務した後に同社を設立。
サラリーマン時代はテレビやラジオCMのスポンサー探しで
大企業や広告代理店を回り予算交渉業務をした。そんな経験を活かしての起業だった。

資本金は1000万円。創業当時に苦い経験がある。
旅行会社と組みバンコクツアーを企画したところ、コンサート前日に現地でデモが発生し
あえなくコンサートは中止。
俳優のギャラの支払、会場の支払などで400万円の損失を出した。
「イベントはギャンブル性が高いことを痛感した」と話す。

以後、芸能人やコンサート、地方観光などの残り600万円で回せる小さなPRを手掛けた。
活動がマスコミに取り上げられたのを機に、
青年会議所、ロータリークラブなど大手経営者クラブに人脈ができ、自らも入会。
交際費が嵩んだため「それなら自分で店を」と、北新地にバーをオープンした。
年間約1億を売上げ、7000万円の利益を出したこともある。

しかし、勢い付いてオープンした2件目で大ゴケ。2店とも閉店した。
「仕入れにお金をかけ過ぎたのと従業員を増やし過ぎたこと。広告代理店との掛け持ちで
心労が重なって体調を崩した」と話す。

HISの澤田社長のアドバイスも受けて今年4月に立ち上げたスマイルトラピック協会は
普通では体験できないようなことをコンテンツに入れ、ツアーを企画・運営する。
設立に際し出資者を募った。
「両親から『借金だけはするな! と言われていたので無借金で事業をしてきましたが、
ある方に『無借金経営は自分のお金を回しているだけのおままごと。もっと社会に
貢献できる大きな事業をしなさい』と言われ、銀行にも融資を受けました」。
本村さんを含め映像会社の経営者など4名の役員は、出資者でもある。

最後に「子どもの頃からの夢だった『世界中を回って笑顔を増やしていく』。
それが現実になっていっていると実感しています。
価格競争に巻き込まれない、差別化コンテンツを今後も増やし
一緒に働く皆と共に成長していきたい」と結んだ。

本村さんが旅行代理店で最初に行っていた経営は、まさに「PL経営」だった。
売上を追いかけ、経費をザクザク使い、店舗を増やす。
しかし、それでは経営は持続しない。

強い会社、持続する筋肉質の会社にしなければならない。
そのためにはPL(損益計算書)ではなくBS(バランスシート)に注力し
毎年毎年、儲けた利益の中からきちんと税金を払って自己資本(純資産)を殖やす
「BS経営」に切り替えることだ。
ビジョンをBSで語り、社員と共有するBS経営は、社員を育てる経営でもある。

本村さんはスマイルトラピック協会で「自己資本1億円」を目指したいと宣言されたが、
一般社団法人は「営利を目的としない団体」。それは自らの会社の中で実現するものだ。

会社経営に必要な資金を集めることは「借金」ではなく「資金調達」。
本村さんが「無借金経営の呪縛」から脱出できたのはよかったが、
今後は自身の会社にもお金を回して自己資本を高めていくことが課題となる。

経営者とは「人・もの・お金」という社会資源を使って、
それを10倍にも100倍にも殖やして社会に還元していく人。
非常に明るくエネルギッシュな本村さんは、人を集める力がある。

明治時代の起業家、渋沢栄一は「経営は右手に論語、左手にソロバン」といったが
起業家は言葉と数字の両方が必要だ。
ビジョンを数字で掲げ、決算書で証明したい。決算書は経営者の成績表。
BS経営を深めて数字に強くなれば、本村さんは名実ともに起業家になるだろう。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 「無借金経営は会社のお金を回しているおままごと」。すごく感銘を受けた。お金の使い方をしっかり勉強して、他人のお金もうまく使って会社を大きくしていかないと自分だけが幸せになり、社員さんを満足させることができない。
・ すごい行動力の持ち主! まさに失敗を経験に置き換えて歩んでいる本村さんの生き方に感動しました。すばらしい起業家に育っていかれると期待しています。
・ 会社が育っていく段階や経営方法が分かった。やってみないと何も始まらない! 私もまずやってみます。
・ すばらしいビジョンを聞いてワクワクしました。私もツアーに参加したいと思った。
・ 木村会長のお話しはいつも自分の背中を押してくれます。本村さんの話も色んなチャレンジをされていてすばらしいと思った。
・ 明るく元気にほんわか語っておられましたが、信頼をとても大切にする本村さんは、必ずビジョンを実現される方だと感じました。
・ お客様のニーズに対してどんな戦略を立て、戦術を取ったのか。もう少し聞いてみたかった。

投稿者 Katsuo : 01:27

2016年09月06日

No.1739 木村塾やってみよう会8月度例会A

8月30日、大阪市北区の手品家梅田店にて第92回「木村塾やってみよう会」が開催された。
今回の「我が人生を語る」は、高級ブランド腕時計のネット販売で業界トップに立つ
潟uルーク代表取締役の青松敬介さん。2年ぶりの再登板だ。
今年、「ランドマークをつくりたい」と心斎橋にあるビル1棟を購入しリアル店舗を出した。

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1971年生まれ。出身は山口県下関市だが、わが郷里と同じ島根県益田市育ち。
4人兄弟姉妹の次男坊で兄は、ゴルフ用品のネット販売で業界首位の実績をもつ
潟潟Aルマックスの青松勇介さん。ご両親を含めて一家揃っての起業家だ。

「勉強もスポーツも苦手。まるで『のび太』だった」という。
農業高校卒業後、大阪の銀行(信用金庫)に就職した。平成元年、バブル全盛期。
貸付係を経て19歳で外回りを担当。「将来、自分も社長に」と夢見た。
「成功する社長は仕事好きで従業員を大切にする。
消える会社の社長は40歳前後で引退してハワイに住みたがる。決算書が読めない。
キャッシュフローでお金があれば潰れないが、自己資本を貯めないであるものを
全部使ってしまう傾向がある」など、シビアに分析した。

しかし、銀行では業績ビリのダメ社員。営業職は向いておらず、わずか3年半で退職。
次に勤めた人材派遣会社の営業職もすぐにギブアップ。
ただ、バブル全盛時代に金融機関にいたことはものすごく勉強になった。
「思えば21歳までは成功体験なしの人生。そんな中、妻と職場結婚できたことが唯一の成功体験でした。
この人を不幸にしてはいけない。初めてスイッチが入りました」という。

青松さんの潜在能力に火が付いたのは、3回目に勤めた創業間もない通販のベンチャー企業。
アイデアマンの社長が次々に打ち出す無理難題の要求に挑戦した。
誰よりも早く出社して誰よりも遅くまで働いた。
50人の部下の中で最年少。「有能な社員が大勢いましたが、超ハードな職場で
私だけが楽しみながら仕事をしていたと思う」。

1、2年目は失敗続きだったが3年目に成長した。
「失敗が経験になる。3年続けると自信になる。これが一番根っこの経験」。
「やったことないことしか、やらない」。それが青松さんの信条なった。

1999年、国庫金を借り布施駅前で奥さんと漫画喫茶を開業した。
当初、月商は60万円ほど。経費を差し引くと20万円しか残らない。
そこで考え付いたのが不要本のネット販売。
1冊100円の中古本が、セットしてシリーズ本として売れば300〜500円になる。
足りない本をブックオフで買い集め、ネットで売ると売上も荒利も店舗を上回った。
もっと効率よくできるビジネスはないかとスタートしたのが
「やったことない」新品時計のネット販売。
7000円で仕入れた腕時計セイコー・ファイブ4本をヤフー・オークションで販売。
その売上でパソコンソフトを買って本格的にネット販売を開始。潟uルークを設立した。

それから16年。「PLではなくBSを核にした数字経営と、数字の見える化」に取り組み、
新品時計のネット販売では日本一の実績を誇る。
2008年に掲げた
「2025年に自己資本30億円。Eコマースを中心としてブラント販売し、
世界一の会社をつくっていく」というビジョンに向かって着実に邁進中だ。

一方「失敗は誰にも負けないくらい多い」という。「失敗の塊になってここに立っている」とも。
一昨年には立ち上げた事業の大半が全滅した。
幹部の大半が辞めてしまったこともある。
「後ろをみたら誰もついて来ていなかった。理念が浸透していなかったのです」。
その理念のキーワードは、「感動」と「成長」。
お客様に利益と感動を届けするためには、社員の自己成長が欠かせない。
「経営者は社員に自己成長のチャンスと環境を用意すること。いい社長になってはいけない、
社員が困難を乗り越えるようになってもらうほうがいい」。
その理念に共感する社員しか採用しない。

まさに「やってみた」人、「カタチを変え」「新しいメシのタネを創ってきた」起業家だ。
私とも共通点が多いが、その最たるものは学校の勉強をしていないということ。
それでも、青松さんはスケールの大きなすばらしい起業家になった。
なぜか。それは「やったことのないこと」を「やってみた」からだ。

「ビジネスは川の流れに乗る」
「ハートがバクバクするほど没頭している時に成功する。半新半疑では成功しない」
「自分をワクワクさせる、自分に電流を与えるような刺激が好き」
語録ができそうなくらい、その言葉にはエネルギーに満ち溢れている。
質問タイムでは、青松さんの成功の秘訣やパワーの源を探ろうと質問が相次いだ。
会場全体にプラス思考の空気が満ち溢れた。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 「やったことないことしか、やったことかない」という言葉が印象に残った。「やったことない人のほうが成長する」「やったことある人は先入観に縛られてしまう」。新鮮な考え方だったが納得できた。
・ 消える社長の共通点として「決算書が読めない」「40歳前半で仕事を辞めてハワイで暮らしたいと考えている」。質問時の「妻は自分の鏡」も勉強になりました。
・ 「もし自分が時計やの息子だったら先入観の塊でうまくいかなかったと思う」「人の成長にはBSが必要」。とても勉強になった。
・ 「ビジネスは川の流れに乗る」「没頭している時に成功する」「自分をワクワクさせる、自分に電流を与えるような刺激が好き」。素敵な言葉に出会えました。
・ どかんなに大変でも辛くて苦しくてもやり切った先には必ず成果が残る。ビジョンが明確でないとできないと気付きました。
・ やる気とエネルギーのある方は数字にコミットしていると感じた。売上ばかり見ていましたが利益を見るようにします。
・ あっという間の時間。青松さんの話の内容は手の届かないことばかり。でも、自分でもできるように感じた。
・ 自分の回りにプラスの刺激を与えてくれる仲間に身を奥ことが大切だと学んだ。
・ 考えているようで実は先入観の塊ではなかったか? 自らに問いかけました。とても面白かった。
・ やったことないことをすることで成功できる。理念を共感する人のみ採用する。川の流れに乗る。青松さんの堂々と語る姿、自信に満ちてかっこよかった。
・ 常にアンテナを張り刺激を受けているつもりでしたが、もっと繊細にやること、数字につなげていかなければと思いました。
・ 現状に満足しない。自分に刺激を与え続ける。これがとても大切だと気付いた。
・ 「1年目、2年目は失敗しても3年目は成功する」「いい社長ではなってはいけない、社員が困難を乗り越えるようになってもらうほうがいい」「良き友人をつくる」「家族を幸せにしないといけない」「数字を出す」「川の流れに乗る」等々、いい言葉をいただきました。
・ 木村会長の「うまくいけばお金が儲かる。失敗しても経験が儲かる。何もしないのが一番損」。頭に刻みました。
・ 固定観念をリセットし、経営者としてもっともっと学び大きな志を持ちたいと思った。
・ 「やったことないことにチャレンジする人が成功する」「できる範囲を考えない」。自分に欠けている2点。気付きを与えていただきました。失敗を恐れずチャレンジします。
・ 「成長の角度が幸せのバロメーター」「自分より大きな会社の経営者と付き合って悔しいという刺激を受ける」という青松さんのモチベーションに感銘を受けた。

投稿者 Katsuo : 06:47

2016年09月03日

No.1738 広島木村塾 第5 期 第2回セミナー開催

8月25日。広島木村塾が福路町交流プラザで開催された。
定期開催としては今回が最終回だ。
昼をはさんで午前と午後、いつものように水野・川野両塾長のご案内で、
市内にある2社を訪問。BSビジョン策定のお手伝いをさせていただいた。

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19時からのセミナー。
ラストというので東京から駆け付けた竹内社長を交えて、
「BS経営」のツボをお伝えすると共に、
ゲストスピーカーとして広島に本社がある株式会社G-net
代表取締役の本多正治さんを迎えて起業家精神を学んだ。

本多さんは1971年、兵庫県生まれの45歳。
10年間サラリーマンを経て、未経験の教育分野に進出、
学習塾大手のフランチャイズになり広島県内に9教室を展開している。

さらにグローバル化に対応し、4年前にフィリピン・セブ島に滞在型の英会話学校
「ファーストイングリッシュ・グローバルカレッジ」を建設、留学事業を始めた。
この事業を始めたきっかけは、少子化だ。
学習塾経営だけでは先細りするという危機感が新たな道を拓いた。

英語学校は北米や豪州にもあるが、学費が高額な上に現地では日本人同士で固まり、
アルバイトに明け暮れるなどでなかなか成果が上がらない。
本多さんは世界中を旅し、セブ島でのマンツーマン・システムによる英会話学習を思い立った。
アジアの英語圏の中では特に英語のレベルが高いといわれるフィリピン。
その中でもセブ島は物価や人件費が安いうえに治安もいい。
ここならリーズナブルな料金で質の高い英会話留学が可能になる。

狙いは的中し、開業から1年未満で黒字化に成功。
需要は右肩上がりで伸び、セブに続いてシンガポール、香港、上海にも学校を開く予定だ。
2031年には大学設立のビジョンを描く。

起業家とは「カタチを変えて、メシのタネをつくる」人。
本多さんの場合は、この要素に加えて熱意と情熱、
失敗を恐れないチャレンジ精神が不可能を可能にした。
セミナーでは、24年後の2036年をゴールに見据えた壮大なBSビジョンを発表した。
このとき本多さんは65歳になる。

BS経営は、売上よりも自己資本をしっかり殖やして
盤石のBS(バランスシート)をつくる経営だ。
そのためには税金もしっかり払わなければならないが、
いいBSをつくれば銀行や投資家はもちろん「社会」を味方に付けて
ステージがどんどん上がっていく。
そして、上に行くほど競争相手が少なく、加速度がつく。

BS経営を実践する本多さんの会社G-netは、自己資本額1000万円から現在1億円になり、
2023年には10億という数字を射程圏に見据える。
セミナーでは企業訪問先のY社長とU社長も登壇、10年後のビジョンを力強く宣言された。

まずは5年先、10年先のビッグなBSビジョンを描いて公言することだ。
口にすれば思考回路が変わり行動が変わる。
トップの行動が変われば社員も変わって会社が変わる。
BS経営は人財育成の経営でもある。

広島木村塾も定期開催は今回が最後。
5年間に渡ってご尽力いただいた水野和子・川野登美子両塾長、
司会役の重道泰造さんをはじめスタッフの皆さん、
ご参加くださった皆さんに心から感謝申し上げたい。

企業訪問と連動した参加型の実践セミナーは全国に広がり、
広島でもたくさんの会社を訪問させていただいた。
この数年間に「自己資本1億円」をクリアした会社が続々誕生している。

皆さんも明日からといわず、今日から初めてほしい。
あれこれ考えるより、まずやってみる。バンバン公言して行動することだ。
みんなできる。
誰でもできる。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 泣けるほどBSの大事さが理解できました!! ありがとうございました。
・ 具体的な数字、それはBSで表現して社員に伝えなければならないことを学びました。
・ 「チャンスはいくらでもある」「大きな逆起用は大きなチャンス」「BS経営で業績が伸びる」。木村会長の言葉を聞くといいつも元気をいっぱいもらえます。
・ 3社長の決意表明を聞いて勇気をもらった。売上至上主義に走っていた自分にとっていい勉強をさせていただいた。
・ 経営上手し話し上手。部分的ではなく全体を見ながら話すので的を外さず迷わない。
・ BS経営は、BS(数字)ビジョン)と経営(言葉)ビジョンの両輪が大切だと痛感した。
・ 人財育成、利益を出す体質について等々、日々悩むばかりです。挫けそうなとき仲間の皆さんの頑張りを聞いて元気をもらいます。BS社員、育てます!
・ 本多氏のグローバルな経営、明るい人柄に好感を持ちました。とても前向きです。勉強になりました。
・ 素晴らしい木村塾ありがとうございました。まだまだ続けて欲しいです。
・ 5年間広島に来て下さり感謝しています。木村会長、竹内社長いつまでも尊敬しています。

投稿者 Katsuo : 00:40

2016年09月02日

No.1737 木村塾パワーアップセミナー「本物は続く、続けると本物になる」

8月23日 大阪市北区にある手品家梅田店で第1084回パワーアップセミナーを開催。
今回のテーマは「本物は続く、続けると本物になる」。

これは私が常日頃から好んで使うフレーズだが、このテーマを含めて
予め門浦さんが用意した3本のテーマの中から皆さんに挙手していただき、
「一番票が少なかった」ものだ。
意表を突いたテーマ選びだったにもかかわらず、皆さん我先にと果敢に発表された。

今回は私が益田木村塾で出張中のため、主催者の門浦さんのレポートでお伝えする。

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「本物は続く、続けると本物になる」。では「本物とは?」
そんな自問自答から始まり、「継続」「ビジョン」「世の中に必要とされているか」
といったキーワーズが飛び交った。

最初から本物というものはなく、継続することで周りから評価され、必要とされる。
ただ、単純に継続したら良い、ということではなく
ビジョンがあるか、常に考えているか、努力をしているか。
それにより、サポートあったり、経験値が増えて成長したりして本物になる。
そして本物にはさらに人脈が集まり、磨きがかかって続いていく。
概ねそんな意見に着地した。

「継続する、だけでもダメだし、ビジョンがある、というだけでもダメ。
ビジョン・マインド・行動が伴って始めて本物になっていくのではないか。
本物というのは、飽くなき精神で常に最高を目指していく状態。
そういうことを言うのではないか」
私に代わって門浦さんが、このようにまとめてくれた。

最後にスピーチに関して浅田先生から次のようなワンポイントアドバイスがあった。

・聴き手が複数でも人の目を見て話す。目を合わせないのは自信のない証拠。
・声がしっかり届いているか、声の確認をする。
・文末は曖昧にしないで「〜です」「〜します」と最後まできちんと話す。

レポートを読んで私もあらためて勉強になった。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 本物になるには本物のマネをする、本物に尋ねるところから始まって、感謝の気持ちを忘れない。自分を追い込んでもっと逆境に身を置かないと本気になれないと痛感します。
・ 本気で自分を磨き続けると決めました、感謝の気持ちを忘れず、しっかり自分の目標をもち意識して続けていきます。
・ 「本物とは自分以外の人に認められること」。本物であると周りのサポートが得られ、続けられる。本気で続けると信頼関係が形成され人脈が生まれて本物になれる!
・ 「本物は続く。続くと本物になる」「成長とは?」「人脈とは?」選ばれなかった2つのテーマを含めてそれぞれが関係するテーマだった。続けることにより成長が実感でき、なお続けると本物になる。習慣化することで多くの人脈にもつながる。
・ 初めてのプレゼンテーション。とても緊張しました。アドリブで発表しましたが、浅田先生からのフィードバックは勉強になりました。「続けると本物になる」。これを頭に刻んで仕事をしようと思います。
・ 考えたこともないことを一生懸命に考えられたことがよかった。これを機に自分の理想とする「本物」に近づくよう意識したい。
・ 一番票の少ないテーマに決まり! これは新鮮でした。テーマによっては本当にきついな、と思うのですが、それもまた枠を広げるいい経験になります。

投稿者 Katsuo : 00:09

2016年09月01日

No.1736 2016年8月度 実践目標の進捗報告

まだまだ厳しい暑さが残るが、もう9月。
皆さんにはいかがお過ごしでしょうか。

私はといえば、先月は76回目の誕生日を迎えたが、お蔭さまで夏バテもせず
実践目標に向かって着実に数字を積み重ねることができた。
とくにフロア昇り(階段で昇ったフロア)が好調だ。

ちなみに先月の1日平均は110階。
最近では「1日100フロア越え」がすっかり定着して習慣化している。
最初こそ結構きつかったが、続けると習慣になり、苦痛でも何でもなくなる。
そもそもフロア昇りは、
ドクターストップがかかって中止したスポーツクラブでの筋トレの代わりに始めたものだが、
この歳で新たな健康づくりの習慣をつくることができ、大きな自信になっている。

また、お盆過ぎには家内と4泊5日でロシアの湾岸都市、ウラジオストクを旅した。
新潟空港から飛行機でハバロフスクを経由し、
そこからウラジオストクまでシベリア鉄道で行く10時間の列車旅。
シベリア鉄道は以前、ヨーロッパを旅した時にも乗ったが、ロシア横断は初めてだ。

奇しくも明日、安倍首相がプーチン大統領と日露首脳会談のために訪れるウラジオストク。
かつては軍港として日本人のシベリア抑留の舞台にもなった都市でもある。
1991年までは外国人は入れなかったが、現在は企業進出も進み、
アジアとロシアを結ぶ重要な都市へと発展しつつある。

日本人は少ないが、親日的で現地を走っているクルマの99%が日本製だと知って驚いた。
クルマだけではない、商店も少なく、
ここでビジネスを始めたら業種を問わず繁盛するだろう。
飯のタネは、ここにも転がっている。

百聞は一見に如かず。いや、百見は一行に如かず。
「やってみなわからん」。
地球は狭くなったが、まだまだ未知なる世界がいっぱいある。

生ある限り、新しい空気に触れていつもワクワクドキドキしたいと思う。

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☆では、私の8月度実践報告を

・減量、減塩、断酒
・万歩計324/500万歩
・ヘルスケア、フロア階(1フロア3m換算)18,277/20,000階
・登山8/20回

・読書75/30冊
・英会話44/50回
・写経4600/4500枚(累計)

・大阪木村塾受講生 946/1800名

・益田市活性化への
「第一回マジックフェスティバル」
「デザイン思考講座」

投稿者 Katsuo : 00:28

2016年08月27日

No.1735 平成28年度 第3回 益田木村塾 人生向上セミナー開催

8月23日19時から益田市駅前ビルEAGA3階大ホールで益田木村塾が開かれた。
今年3回目の「人生向上セミナー」のスピーカーは、
福井県あわら市に本社を置くファーストトレード(株)代表取締役の三上良平さん。

益田市と同じ日本海の地方都市でインターネットを使ったグローバルビジネスに挑み、
資本金100万円の会社をわずか6年で驚異的な自己資本を持つ優良企業にした。
「地方だから、資金がないから、知識がないから、経験がないから」
三上さんの話を聞けば、そんな言い訳は通用しないと分かる。

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1977年福井県生まれの39歳。高校卒業後、クルマの整備を皮切りに、トラック運転手、メガネ職人、ホテルマンなど職を転々。
「どの仕事も楽しかったがすぐ飽きた。バイトも含めると転職は15回ぐらい」
というから半端じゃない。
しかし、結婚して妻子を抱え、お金の必要に迫られた。

31歳で再び長距離トラックドライバーに。貯蓄や資産運用の勉強を始める傍ら、
起業を視野に入れて「運転手をしながらできるビジネスを」と始めたのが、
中国から品物を輸入してネットオークションで販売するビジネス。
始めてみると、それなりに稼げた。
副業から本業へとシフト。1年後にドライバーを辞めて起業したが
間に頼んだ輸入代行業者がズサンでトラブルが続出した。
そこに目を付けた三上さんは「自分が代行業者になればビジネスになる」と閃いた。

しかし、中国語も英語も苦手。そこで、中国人のビジネスパートナーを探そうと
同業者の集まるネットの掲示板に「日本語で」求人募集。
これがよかった。
言葉だけでなく日本に精通する有能な現地のパートナーが見つかり、提携した。
現在、中国では上海の近くの郊外都市に現地法人を設立、スタッフ50〜60を抱える。
2013年から新たに以前から興味のあったオリジナル・メンズバッグの企画製造に着手。
バングラディシュでの製造に続き、イタリア・フィレンツェで買い付けた商品も販売する。
さらにバングラディシュのマングローブでソフトシェルクラブ(蟹)の養殖事業も始めた。

一方、経営で大事なのは売上ではなく、自己資本。
強いBS(バランスシート)をつくる「BS経営」を忠実に実践する三上さん。
資本金100万円でスタートした同社は、2年目に自己資本1,000万円を達成。
これを弾みに急伸し、4年目で自己資本1億円を超えた。
私もこれまで何千社もの決算書を見たが、こんな勢いのある会社は初めてだ。

三上さんはBS経営のメリットを次のように話す。
「金融機関の信用がついて資金調達が簡単になること。そして、いい人財が集まること」
現在、同社の財務を担当する幹部社員は取引先銀行からの転職者だ。

三上さんは4年後10期のBSビジョンとして次のように話す。
「年収1,000万円の社員を3人育てて自己資本10億円に」。
さらに「20歳の頃に憧れたハワイのワイキキビーチにクレープ屋を開くことと、11年後
50歳の時には貧困に苦しむバングラディシュの子供たちを支援する街をつくりたい」と。
テイク&テイクだった人生が、ギブ&ギブの人生に変わりつつある。

いい学校を出て、会社に勤めて安定した生活をする人生も結構。
しかし、人口の5パーセントぐらいの割合で起業家が誕生しないと国は亡ぶ。
起業家とは、カタチを変え、飯の種をつくる人だ。

私には3つの原点がある。
父の死と、長男であったということ、そしてこの日本に生まれたということ。
このどれが欠けても今の私はなかった。
「飯が食えない」というピンチが起業家の道を拓き、日本というステージが私を育てた。
起業家になりたい人が極端に少ない日本は、チャンスがいっぱいだ。
経営とは「人・カネ・もの」という社会資源を活かして、それを10倍にも100倍にもすること。
特に日本はお金が余っている。
銀行ではこのお金を使って儲けてくれる借り手を探している。
BSは経営者の通知簿。
自己資本を厚くしていいBSを持てば資金調達が容易になり、事業は好循環になる。

人間は2つのタイプがある。「やる人」と「やらない人」。
やる人は、まず動く。
やる人は、やれる方法を考えるが、やらない人は、できない理屈を並べ立てる。
三上さんができたのは「やる人」だったことだ。
このチャレンジ精神とビッグなBSビジョンが人を巻き込み、
強いBSが信用となってさらに資金を呼び込んだ。

仕事のステージが世界に広がっても、同社の本社は あわら市のまま。
いま、三上さんは趣味のサーフィンができる神奈川県の湘南に住み、
あわら市と上海とダッカやフィレンツェを往来しながら仕事をする。
都会も地方も関係ない。インターネットを介せば、そんな生活ができるのだ。

三上さんが特別なわけではない。
誰でもやったらできる。みんな、できる。

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投稿者 Katsuo : 02:19

2016年08月22日

No.1734 木村塾やってみよう会8月度例会@

8月9日、大阪市北区の手品家梅田店にて第91回「木村塾やってみよう会」が開催された。
今回の「わが人生を語る」発表者は、東大阪市に本社を置く株式会社ダイコー製作所
代表取締役 沢井弘志さん。

アルミダイカスト・亜鉛ダイカストの二次加工を専門とする会社。
自動車や航空機の部品、医療部品など様々な分野を下支えしている。
2015年には新事業として株式会社ジェイポートインターナショナルを設立。
ベトナム人エンジニア採用コンサルチング事業や、インバウンド集客支援を始めた。

1971年大阪府出身。しかし生まれたのは福岡県。お母さんの実家だ。
「ここで祖母、母と三代続けて同じ産婆さんに取り上げてもらいました」という。
「実は3人兄弟で、4つ上の兄との間にもう一人兄がいたのですが、死産でした。
それで母は大事を取って九州の産婆さんに託したそうです。私が無事産声を上げることができたのも、その兄のお陰かなと。兄の分もがんばって生きていこうと思います」。
こんな誕生のエピソードから始まった沢井さんの人生。

「人生で逢うべき人には必ず逢える」。
沢井さんはこんなテーマを掲げた。

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高校1年生の時にはお父さんを亡くした。交通事故だった。44歳の若すぎる死。
以来、4歳年上のお兄さんが父親代わりになった。
生活費の足しに、高校時代は、北新地の珍味屋さんでアルバイトをした。
社長から任され、会計から営業、配達までほとんど一人でやった。
このときの体験が、沢井さんを起業の道へと駆り立てた。

卒業後、一部上場のシャッター会社に就職したが、指示待ちの仕事は性に合わず1年で退社。
その後、一足先に勤めていたお兄さんの紹介で同じ会社に入社。
ここで、チャンスが訪れた。
社長に腕を見込まれ「独立してやってみないか」と声がかかったのだ。
「当時はただ、お金が欲しいという気持ちだけ。私利私欲の塊でした」。

社長から引き継いだ東大阪にある30坪の場所で「3人のおばちゃん」とスタートした。
1995年、ダイコー製作所創業。沢井さん23歳だった。
しかし、時代は企業の海外進出で製造業が空洞化。
「仕事がない、おばちゃんの給料が払えない」。

そんな中、人とのつながりで仕事が入り、創立2年目で社員10名に。
さらに人脈の広がりから広い工場に移転。
小学校時代の幼馴染が会社に入ってくれるなどして、事業はどんどん拡大していった。
32歳の時には一冊の本「お金持ち父さん、貧乏父さん」の影響を受けて、
収益マンションを購入。
「稼いだお金は俺のもの、お金を散財していた」と振り返る。

一方、苦い経験もある。
良く分からないまま中国人を使っていたところ
「不法就労」でその半数以上が強制退去させられることに。
次の人を採用するまで待てるような仕事ではなく、最大のピンチ。
「中国に帰国する飛行機代がない彼らに、お金を空港まで持って行ってのですが、
会社に帰る道中、自分は今まで何をしてきたんだろうと涙が止まりませんでした」。

2006年、個人事業から法人化。株式会社ダイコー製作所を設立。
しかし2期目にリーマンショック。「天国と地獄の繰り返し」だった。
そのころから経営者仲間の導きで日創研に通い始めた。
当時、南大阪経営研究会の担当委員長をされていた沢井さんに私が会ったのもこの頃だ。
「強い会社を創りたい、と本気で思った」という。

現在、ダイコーは第10期。
30坪、スタッフ3人からスタートした会社は3拠点、スタッフ50人になった。
「おばちゃんたちは60歳を過ぎた人から円満退社。昨年最後のおばちゃんは、
67歳で『会社も大きくなって安心やし、私はそろそろゆっくりさせてもらうわ』と」。
感謝で止めどなく涙が流れた。

「一人で大きくしたのではない。全ては皆様のお陰。名前の『志』という字のように
十人(たくさんの人)と心を一つにしてビジョンに向かっていきたい。
いつか皆さんに恩返しのできる会社に」
沢井さんは、そう語る。

一方、「ダブルインカム」にも積極的な沢井さん。
昨年設立した、ジェイポートインターナショナルは、
ダイコーの工場のあるベトナムに対するエンジニア派遣やビジネス支援、
訪日中国人のインバウンド戦略の支援(WEBマーケティング)や越境EC(通販サイト)を行う。

最後に、ダイコー製作所の5年後と、⒑年後のBSビジョンを宣言された。
同時にジェイポートインターナショナルは⒑年後「一部上場」を目指す。

今年5月、沢井さんは44歳で天国に行ったお父さんの歳を一つ越えた。
「父の無念を心に刻み、父の分も頑張って生きていこうと思います」。力強く語った。

「やってみなわからん」マインドに満ちた沢井さんは、まさに起業家だ。
私も60年間の起業家人生で、30以上の事業を始めたが、そのうち残っているのは4つ。
ユニクロの創業者、柳井さんは「1勝9敗」と言ったが、この1勝が9敗を制して余りある。
成功したらお金が儲かる。
失敗したら経験が儲かる。
何もやらないのが一番大損だ。

なお、8月15日は私の76歳の誕生日。少し早いが前夜祭ということで
皆さんから大きなバースディケーキをプレゼントしていただいた。
ありがたき幸せ。これからは『光輝』高齢者として健康に留意し、
感謝の心を忘れずプラチナの人生を目指して日々を送っていきたい。

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投稿者 Katsuo : 00:38

2016年08月09日

No.1733 大阪木村塾BS経営セミナー 8月度開催

8月2日 大阪市北区にある手品家梅田店で大阪木村塾BS経営セミナーを開催。
ケーススタディとしてY'sLinks代表取締役の米澤忍さんをお迎えし、
「ピンチはチャンス! スマレボで日本を元気に」と題してお話しいただいた。
波乱の人生はまさに「ジェットコースター」だ。

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米澤さんは1967年大阪府生まれ。幼い頃に両親が離婚。
「女性が幸な人生を送るには教師になるか大企業に勤める男性と結婚すること」
という母親の価値観の元に育てられた。
脳裏には「いつも苦しそうな顔をして3時間睡眠で働いていた」母の姿が焼き付いている。

体育科のある高校を卒業後、大手スポーツメーカーに勤めた。
趣味のバイクをきっかけにレースクィーンのバイトを経て、モデル業界に転身。
バブル期で仕事も多く20歳でベンツを乗りまわしていた。
ジェットコースター人生は加速度を付けて上り続けた。

21歳の時、29歳の実業家と「玉の輿結婚」。専業主婦になり2児に恵まれた。
ところが、億単位の夫の負債が発覚。幸せの絶頂から急降下の人生が始まる。
借金取りが押し寄せる家の中で、時給200円のアクセサリー造りの内職をしながら
「生産性のない自分は価値のない人間だ」と悔し涙を流した。

33歳で離婚。「父親のいる家庭よりも稼ぎたい」と
「年収1,000万円稼げる仕事」を見つけて飛び込んだ。
内容は工場に特化した人材派遣の飛び込み営業。やったことはなかったが
米澤さんは必死で食らいつき、3年後には目標を超えて年収1300万円になった。

独立採算にしてピーク時は年間5億円を売上げたが、会社と考えが合わなくなり仕事を降りた。
次にトライしたのは出版社の広告営業。給料は3分の1になったが、営業の仕事が楽しかった。
その後、リーマンショックがありグループ会社の人材派遣の会社に転籍したのを機に独立。
「人との出会いがあって自分に合った仕事に巡り合えたら、こんなにも力を発揮できた。
女性が輝いて働ける、そんなステージを作りたい」と2013年4月にY'sLinksを設立した。

女性営業プロデューサーとして力を発揮する中、不動産デベロッパーのオーナーからの依頼で
赤字だった系列のホテル経営に乗り出したのが2014年3月。
ホテル経営など、やったこともなかったが、
「人ができることなら自分にもできる」が米澤さんのポリシー。
しかし、引継いだ直後スタッフのほとんどが辞めるなど予想もしない困難が次々と押し寄せた。
「怒涛のような引継ぎ劇」を経て、それでも1カ月後には新体制で臨んだ。
3カ月間ホテルに住み込み、7月の朝礼で「必ず利益を出します」と宣言。膝が震えた。
そして、その月の終わりから赤字だったホテルは黒字化した。
「円安とインバウンド需要、ビアガーデン効果という不思議な力に導かれた」という。

以前にも何度か、ゲストスピーカーとしてこの木村塾に登壇された米澤さん。
ここまでの話は聞かれた方もあるかと思うが、今回さらに続編がある。
ホテル経営から丸2年。
見事にホテル再建というミッションを果たした米澤さんに、新たな逆境が訪れた。
今年3月、ホテルのオーナーが賃貸契約を更新しないことを決定したという。
理由は「黒字化」。軌道に乗ったホテルを今後は自分たちで経営するというのだ。
「悔しくて残念です。今、まさにピンチの中です。
ジェットコースターはまたもや下りになりましたが、今度は前のようにどん底に落ちません。
それはホテル経営ができるということが分かったからです。次にできることを探します」
爽やかな表情で力強く語る。

今後は人財教育の分野で、独自に開発した「笑顔で革命を起こす」研修プログラム
『スマレボ(スマート・レボリューション)』を企業研修の新基準として
全国に広めていきたいとビジョンを語る。
と同時にY'sLinksの数字を入れたBSビジョン目標として
「2026年、社員10名・自己資本1億円」を表明した。

社員10名なら1人当たりの自己資本は1,000万円。
家庭でいえば、1人1,000万円の貯金があるということだ。
強い会社は売上でも、従業員数でも店舗数でもない。
「一人当たり」という自己資本の物差しをもつことが、
小さくでも強くていい会社をつくる究極の方策となる。

成功すればおカネが儲かる。失敗しても経験が儲かる。
何にもしないのが大損だ。
米澤さんのジェットコースター人生は、まさにそのことを立証している。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 逆境こそが人間を強くし、やる気を引き出すものと改めて感じました。自己資本を一人当たり1,000万円稼げる人財を育てる重要性が今回分かりました。
・ 「やってみにないと分からない。やったことしか残らない」「会社も世の中も活かすのは人」「ピンチに沢山あったほうがラッキー」「数字が言葉をつくる」心に残った言葉です。
・ 私は自分が経験してみるのが好きでチャレンジ精神があるといいつつ、心の中では失敗することを常に心配していました。しかし、まずはやってみないと次のステップには進めないと感じました。
・ 「やってみな分からん」という木村会長の言葉が強く響いた。「まず言葉にしてからこそ、そこへ行くプロセスが見える」。今後の人生で忘れられないアドバイスになりました。
・ 米澤さんのジェットコースター人生に刺激を受けた。「いつまでにやる」という公約をされていたのが素晴らしい。私も頑張ろうと思いました。
・ 久しぶりにお会いした米澤さん。以前と変わらぬ表情で、ホテルも順調に経営されていると思っていましたがビックリの内容でした。米澤さんこそ、松下幸之助のいう「素直な人」だと思います。順境に素直に伸びる人。逆境に素直に生きる人。どちらも同じ強さと正しさと聡明さを持つ。まさにそんな方でした。
・ 日本人は変化を嫌うが、変化に対応することが成功の秘訣だと分かった。ピンチの時ほど成長するチャンスですね。
・ 米澤さんはとてもエネルギッシュで素直。生きていくために行動するという所が木村会長と似ていると思う。私ももっと厳しい環境に置き行動していこうと思いました。
・ 赤字のホテルで「再建してみせます」と言い切ったこと、凄い。本当に言い切ると責任感が出て以後気、それが結果につながる。本当の意味で生きている人間は、やはり様々な苦労や経験をしているのだと思いました。
・ 本気になればできないことはない! 覚悟を決めれば良い流れが生まれる! ピンチが訪れても諦めなければ向上していくことができる! 今私は大ピンチ!! 挫けないためにパワーのあるひとの話を聴き、ピンチをチャンスにして行けるよう踏ん張ります。
・ 米澤さんの「越える」チカラがすごい。聞いているこちらが元気になりました。
・ 「目標があれば実現します」は吸引力法則です。起業家になります。
・ 自分はまだ何も世界に貢献していないと痛感しました。木村会長の『人・もの・カネ』の活かし方の切り口は目からウロコでした。

投稿者 Katsuo : 08:35

2016年08月05日

No.1732 木村塾やってみよう会7月度例会A

7月26日、大阪市北区の手品家・梅田店にて第90回「木村塾やってみよう会」が開催された。
今回の「わが人生を語る」発表者は、有限会社エム・カンパニー常務取締役、白川尚範さん。
同社は大阪南港を物流拠点として畜肉商品に特化した「畜産物流」で急伸する。
7月のBS経営セミナーでゲストとしてご登壇いただいた松木克浩さんの会社だ。
白川さんは松木社長と理念とビジョンを共有し、ビジョン実現のための戦略を考えて実行する。

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大阪生まれの在日コリアン。幼少期は「つらい思い出しかない」という。
虚弱体質で八尾市の生家は「貧乏、ボロボロの長屋暮らし」。
民族学校に通っていたため地域の同年代の子どもたちからいつも除け者にされた。
転機は和泉市への引越し。
ここで出会った3人の友が、白川さんを生来の「明るいイタズラ小僧」に変えた。

しかし、学校では勉強嫌いで成績はどん底。
中学時代はサッカー部に入ったが、サッカー強豪校にあって「万年補欠」だった。
あきらめが早く努力もせず、ゲームセンターに入り浸った。
その一面、勉強を除くと「何でも卒なくこなす」天分を開花させた。
高校時代にはクラブメンバーというだけで在日コリアンの国体選手にばれたこともある。

高校卒業後、バイトの延長で中華料理店に就職した。
職場でも器用さを発揮して鍋振りやスタッフのとりまとめを任されたが
先輩の反感を買って衝突し1年で辞めた。
再就職先を探すも「育ちの悪い金髪」を雇ってくれるところはどこにもなかった。

9社目に受けたのが、創業3年のエム・カンパニー。
車両台数ゼロ、社員もわずか2人という運送代行会社。面接は松木社長の自宅だった。
「生い立ちも見ためも全然関係ない。うちはやる気のある人間が欲しいんや!」
松木社長のこの言葉に感動。即採用となった白川さんの心に火が付いた。

以降の同社は躍進著しい。車両台数が増えるにつれて白川さんの業務も激増した。
あまりの忙しさに退職を申し出た。しかし、専務に説得されて残留を決意。
その後も何度か「辞めたい症候群」が噴出した。
2度目は、ハードワークと研修の辛さから。「クギ師になりたい」を辞める理由にした。
3度目は、管理職昇格というプレッシャーから。今度は「おでん屋になりたい」。
しかし、その直後、社内で会社の存続が危ぶまれるような不祥事が起こる。
「社長や専務が一番苦しいときに辞めるわけにはいかない」と留まった。
「辞めたくなる時は、逆境に遭遇したとき。いつも言い訳を考えていた自分がいた」
と省みる。

その後の白川さんの成長はめざましい。
人財研修に力を入れる同社で、社長と同じく日創研や木村塾で経営の勉強を続け、
昨年には常務取締役に昇進、次期社長として後継者に指名された。
同社の経営基盤は最強になり、今年度は「自己資本1億円」を突破する。

壇上では「30期 自己資本3億円」を掲げ、このBSビジョンを叶える戦略として
インターネットを活用した食肉販売「エムカン牧場」や
外食産業「エムカン一人焼肉」の展開などユニークなビジネスプランを発表。
合わせて「65歳までに貯金を1億円貯めて嫁と世界の好きなところを旅行します」と
自身の人生ビジョンも宣言した。

「自分の言葉に嘘はつけない。退路を絶つ覚悟で発表しました」と白川さん。
白川さんの人望だろう。満員の会場にはエム・カンパニーの社員さんを始め
取引先企業の方々や、奥さんと子どもさん、冒頭の話しに出てきた親友の姿も。
ここで宣言したビジョンがプレッシャーとなり、白川さんの行動を変え、
描いた以上に素晴らしい未来を手にするに違いない。

会場では松木社長の「社長にとって一番必要なものは?」との質問に「決断力」と即答。
「私は幹部として1を10にする自信があるが、ゼロを1にするのが経営者。
しかし、これほど難しいものはない。これからはそれを目指します」と
次期社長としての資質を見せつけた。

私も在日コリアンとして生まれ、白川さんとは比較にならないほどの極貧生活を送ったが、
いじめられとか不幸だったという思いを抱いたことがない。
転居を繰り返して、友だちをつくる暇もなければ人と比較するということがなかった。
そのお蔭かもしれない。
逆境ほど人を鍛え、強くするものはない。

私の原点は3つある。14歳で迎えた父の死、5人兄弟姉妹の長男であったということ、
そして日本というステージを与えられたということ。
その一つでも欠けたら今の私はない。
日本にはビジネに不可欠の「人・もの・カネ・情報」という経営資源が溢れている。
この国では安定志向が強く、リスクを負ってまで起業家にはなりたがらないが、
起業家になる人が少ないことを含めて、これほどビジネスチャンスに恵まれた国はない。

あれこれ理屈を並べ立てる前にやったらいい。
成功したらおカネが儲かる。失敗しても経験が儲かる。
10年後の白川さんに期待したい。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 数字がいかに大切かということを教わった。「成功したらお金が儲かる。失敗しても経験が儲かる」という木村会長の指摘に自信が湧いてきました。
・ 白川さんが言われた「幹部の年収1,000万円」の定義について。「幹部は年収1,000万円にふさわしい利益を出せ」ではなく「ふさわしい利益を出す仕組みを創り出せ」。そんな発想が社員想い、仲間想いだと思いました。
・ 「勇気と信念と感謝」。今日の白川さんの話からこの言葉が浮かびました。
・ 「辞めたくなる理由はすべて逆境にぶつかっている時」。立場が上がると多くの逆境(プレッシャー・人材育成・責任)が大きくなる。素晴らしく楽しい講演でした。
・ 会社を辞めたい症候群の話しの中で「辞める言い訳を考えていた」という言葉に共感した部分がありました。人生も経営も「気付きと決断(選択)」の連続だと思う。
・ 「有言」することで、さらに「実行」を「覚悟された」と感じました。ゼロをカタチにして素晴らしい経営者になってください。
・ 要所要所に社員さんに対してメッセージを伝え、自身の想いも語っている。白川さんの人柄の良さが感じられる素敵な「我が人生を語る」でした。
・ 白川さんの人望に感心しました。数々の壁を乗り越えたところに勇気をもらいました。
・ 経営ビジョンの持ち方、理念の浸透のさせ方など経営者として大変勉強になりました。
・ 白川さんの「謙虚に上を目指す」姿が非常に良かった。私も見習います。
・ 私は社員なのでお金のことに関しては正直ピンとこなかった。そして、この考えがダメだと気付きました。
・ 「辞めたい症候群」が何度も訪れたというエピソード。自分も何度も経験があるので共感すると同時に、今こうして学び続けて築き上げてきた状況を本当に素晴らしいと思いました。私も見習います。
・ 白川さんの「ゼロを1にする」という言葉に打たれた。学びは嘘をつかない。白川さんの話しを聞いて改めて思いました。
・ 人との出会いが人生を変える。諦めずに継続することが自分の価値の気付き、前向きに生きる一歩になると思った。
・ 同じ経営幹部、創業者のビジョンや想いを継ぐものとして聞かせていただきました。日ごろから会社の方針や強みをよく知り、実際の計画を実行している率先者として周りから信頼を得ている姿が浮かびました。2022年の白川社長の新ビジョンが楽しみです。

投稿者 Katsuo : 00:30

2016年08月02日

No.1731 木村塾やってみよう会7月度例会@

7月12日、大阪市北区の手品家・梅田店にて第89回「木村塾やってみよう会」が開催された。
今回の発表者は、プライベートエステサロンFLORA代表の藤平仙花さん。

「よく血液型はB型に見られますが、実はÅ型なんです」と、はにかむ。
中国出身。2004年に来日して12年。日本国籍を取得し、エステサロンを経営する傍ら、
貿易会社の設立に向けて奔走する。
中国語、日本語のみならず英語、韓国語にも堪能。
好きな言葉は「人生は誰と出会うかで決まる」。

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1977生まれ。子供時代は寒冷で冬が長い吉林省青島市で過ごした。
3人兄弟の長女で妹と弟がいる。
家は貧しく我慢の連続だった。「大人になると我慢しなくなると思っていた」という。
高校卒業後、日本語を学びたいと長春市にある吉林大学で日本語を専攻した。

入学時のエピソードがある。
「実は推薦枠が狭く先生から止めるように言われたのです。でも、諦めなかった。
するとミラクルが起こって合格した。ところが、学費が1万円足りない。
このときも知人からのお祝いが舞い込んで救われたのです」。
それが人生の転機となった。

卒業後、中国の大手旅行会社に就職。
旅行好きに加えて内向的な性格を直そうと選んだ仕事だった。
4年間働き、お金を貯めて憧れの日本で勉強するために来日した。27歳だった。
日本では1年間、日本語学校に通い大学院進学の準備をした。
その間、「自分はどんな人生を送りたいか」と自問自答を繰り返した。
結果的に進学を止めて就職。複数企業に勤めた。

しかし、日本での生活は順風満帆ではなかった。
2009年にはリーマンショックのあおりを受けて失業。家族の死・・・
失業を機に貿易の仕事と掛け持ちしながら2010年にホームエステサロンをスタートした。

思えば「妥協の連続だった」。
だから「もう絶対、妥協はしない」と決めた。「自分の証を残そう」と誓う。
今年に入り、これまでの経験と築いた人脈を活かして貿易会社設立した。
木村塾に通い始めたのも、この春だ。
「美容のフランチャイズ展開を海外に広めていきたい」と夢を語る。

「自分だけが儲かるのではなく、みんなを幸せにしていく」という未来ビジョンに合わせて
今年度と3年後、10年後の数字を入れたBSビジョンも発表した。

言葉は文化だ。
多言語を話し、多文化を知る藤平さんは複眼でものを視ることができる。
しかも勉強好きで行動的。まさに起業家に必要な条件を備えている。
ただ、足りなうものがあるとすれば、それは数字だ。
数値目標を入れたビジョンは言葉だけでなく公言すれば、具体的な戦略が生まれる。
そのためにも、もっともっと数字に対する理解が必要になる。

バランスシートは経営者の成績表。そして世界共通だ。
いいBSは世界に通用する経営者の証となる。
BS経営をしっかり学んで世界を舞台に活躍してほしい。

「朝は希望を、昼は努力を、夜は感謝を」
これは藤平さんが紹介した言葉だが、これはそのまま人生にも当てはまる。
まだ39歳。希望の真っ只中だ。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 海外へ進出するには、他国の文化を知る必要がある。そこで「毎年、新年のカウントダウンは別の国で迎えるようにしている」という藤平さん。すばらしい行動だと思いました。
・ 仙花さんのアグレシブさ、努力できる、努力しようとする姿勢は本当にすごい。努力の天才ですね。「What do you want?」私もこの精神を常に持って行動していこうと思いました。
・ 「妥協は二度としない」「朝は希望を、昼は努力を、夜は感謝を」。良い言葉です。
・ 仙花さんのバイタリティあふれる人生。若い人に聞かせてやりたい内容でした。「10年後のすばらしい私」をテーマに、2人1組で発表し合う開始前の3分間ダイアードや、最後の感想もよかった。
・ 「常に自分の目標を持つ」「出会いはチャンス」「朝は希望・昼は努力・夜は感謝」「自立と自律」「旅のテーマを持つ」。人生で大切なキーワードです。
・ 「朝は希望を、昼は努力を、夜は感謝を」という言葉は初耳で大変印象に残った。当り前のことを当たり前にしたり、日々を妥協せずハングリー精神をもって行動することで人は成長するのだと感じた。

投稿者 Katsuo : 00:59

2016年08月01日

No.1730 2016年7月度 実践目標の進捗報告

7月23日に写経が今年目標の4,500枚に達した。
予定よりも5カ月も前倒ししたことになる。
スタートから9年、「10年間で5,000枚目標」を掲げたのが2007年9月だから
この調子で行けば1年早くゴールできるだろう。

ちなみに、私は毎朝5時に起床し、洗面を済ませると仏間で座禅を行う。
蓮華座を組み、ゆっくり腹式呼吸をしたら胎の中から声を出して「般若心経」を唱える。
それから半眼で丹田に意識を集中させて今この瞬間に意識を向ける。
最後に「白隠禅師座禅和讃」を唱えて座禅は終了。
ここまでが30分。
それから机の前に座り、筆ペンで1時間かけて般若心経をしたためる。

何しろ脳味噌が足の裏についている私だ。考えるより前に行動している。
座禅や写経は、静止して考える習慣を身に付けたいという思いから始めたが、
お蔭さまで心が落ち着き、忍耐力や集中力が養われたように思う。
今ではこのリズムがすっかり身に付いた。
毎日、生まれ変わったかのように清々しい朝を迎えている。

きっかけは、ニューヨーク大菩薩禅堂金剛寺の嶋野栄道老師との出会いだった。
嶋野老師はアメリカに禅を広めたいという夢を抱いて40年前に単身渡米され、
一代で臨済禅の実践道場であるこの寺を開院された。いわば仏教界の起業家でもある。
私もニューヨークで禅修行をさせていただき、「鳳雲」というありがたい戒名を授かった。

それにしても飽きっぽい私が、よくぞここまで続けることができたと思う。
なぜできたのか。
それは、最初に数字目標を掲げたからだ。
一枚、また一枚・・・。
毎日、写経用紙の左下に書き込む数字が増えて、目標に近づくことが励みになった。
どんな大きな目標も日々の小さな積み重ね。
50センチほどの高さになった写経の束を眺めていると、つくづく思う。

次なる目標は5,000枚、いや、10,000枚。
そのとき私は85歳!
明日も元気に早起きしよう。

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☆では、私の7月度実践報告を

・減量、減塩、断酒
・万歩計 285/500万歩
・ヘルスケア、フロア階(3M換算)15,022/20,000階
・登山 8/20回

・読書 70/30冊
・英会話 42/50回
・写経 4,520/4,500枚(累計)

・大阪木村塾受講生 820/1800名

・益田市活性化への
「第一回マジックフェスティバル」
「デザイン思考講座」

投稿者 Katsuo : 00:56

2016年07月29日

No.1729 木村塾パワーアップセミナー「本気で生きるとは?」

7月19日 大阪市北区にある手品家梅田店で第1082回パワーアップセミナーを開催。
今回のテーマは「本気で生きるとは?」

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毎回思うが、ひとつのテーマに対してさまざまな捉え方があるものだ。

ある人は「自分との約束を守ること」だと言い
またある人は、他者との関係の中で「責任を果たすこと」だと言う。
他に「挑戦し、成長すること」
「生きるだけでなく、活きるということ」
「人生は有限と知り時間を大切にすること」など、それぞれの価値観や人生観が表れた。
自分の考えとは異なっても、じっくり人の話に耳を聴けると、
なるほどそんな考え方もあるものかと新しい発見がある。

私自身、本気という言葉に値するかどうかは分からないが
14歳で社会に出て、家族にメシを食わせるために一生懸命生きてきた。
いつ何時、何が起こるか分からない。
常にメシの種を探し、同時にいくつも動かした。

1年間は8,760時間。
時給1000円で寝ずに働いたとしたら876万円だ。
この額自体は決して少なくない数字だと思うが、寝ずに働いても、だ。
この時間をどういう風に使うのか。
どうすればそれが8,760万円になるのか。

経営とは「人・もの・カネ」という、世の中の資源をお借りして、それを活かすこと。
ビジネスに限らない。経営とは生きること。人は皆、自分という人生の経営者なのだから。

なんでも実践し、うまくいったら銭が儲かる。
うまくいかなくても経験が儲かる。
何もしないのが一番大損。
人生は一度切り。あれこれ考えるよりも何でもやってみたらいいと思う。
それが本気で生きるということにつながるのではないか。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 本気で生きるとは、「考える」だけでなく「行動を起こす」ことだと思った。
・ 参加者の皆さんがといも具体的な行動に照らし合わせて発表されていることが印象的だった。
・ 前に出たら頭の中が真っ白になり、人の顔を見て話すことができなかった。どうすれば、聞いている人に興味を持たせるか、話をまとめるのに苦労した。
・ このテーマをいただいて、自分はたまに気を抜いて過ごしていることがあると気付いた。自分の置かれた状況を考えると本気で生きていくことが大切であると改めて感じた。
・ めちゃくちゃ難しいテーマでした。難しいと思うことは、日ごろ考えていなかったということにも気づかされました。
・ プレゼンをするたびに反省ばかり。アウトプットすることで、できていない自分が明確に分かります。

投稿者 Katsuo : 09:37

2016年07月12日

No.1728 大阪木村塾BS経営セミナー 7月度開催

7月5日 大阪市北区にある手品家梅田店で大阪木村塾BS経営セミナーを開催。
BS経営のケーススタディとして
有限会社エム・カンパニー代表取締役の松木克浩さんをゲストにお迎えした。
堺市にある同社は1992年創業、翌年に設立。
大阪南港を物流拠点として畜肉商品に特化した「畜産物流」で急伸する。

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松木さんは1970年生まれの46歳。
高校卒業後、運送会社や不動産会社、工場を転々として21歳の時に起業した。
きっかけは「誰か大手食品会社の食肉を運ぶ人はおらんか?」という知人の声。
高校時代から「社長になって金持ちになる」と決めていた松木さんは、すかさず手を挙げた。

友達を引き込んで社員1人、代行運転で売上70万円からスタートした事業は、
試行錯誤しながらも拡大した。
原動力は「いい時計をして、いいところで飲みたい。大きな家に住みたいという欲望」。
4年目には精肉店を開業して失敗。
5年目には事業が認可制から許可制となり、資本調達に奔走。
それを機に自身はドライバーを辞めて営業活動に専念した。

売上が上がり従業員が増えると「私利私欲」はさらに強くなり毎夜、繁華街に繰り出した。
しかし、一方では資金繰りや人間関係、人財育成の問題にぶち当たった。

「すべての問題は自分の行動にある」。
気付かせてくれたのは10年目に入会した日創研での学びだ。
以来「物流を通じて社員・お客様に幸せを届ける」というエムカン理念を持つことに。
理念があれば行動が変わり、社員や荷主企業からの評価も変わった。

松木さんがBS経営を学ぶようになったのは、さらに10年後の2013年。
「数字を入れた夢ビジョン」を打ち出して公言すると、夢がカタチになり勢いが加速した。
「ビジョンを決めると、それを実現するためのアイデア(戦略)が生まれます。
しかも一つではなく無数に。もちろん、それに挑戦するのは壁もあるし
失敗もする。でも、失敗してもスキルがつくので最後には成功します」と話す。

その甲斐あって、今年度は3年前に打ち出した「自己資本1億円」を突破する。
計画していたエムカン物流センターも予定より早く実現した。

BS経営の威力はそれだけではない。
ビジョンを共有すると幹部が育ち、金融機関を味方に付けて資金調達が容易になる。

セミナーでは「30期 自己資本3億円、幹部社員の年収1,000万円」を掲げた。
そして、このBSビジョンを叶える戦略として
お客様の会社で余っている食材をWEB上で販売する「エムカン牧場」、
外食産業として「エムカン一人焼肉」の展開などビジネスプランが広がる。
さらに50期2043年には牛のテーマパーク「エムカン牧場」という長期的ビジョンも描く。

私もかつては「私利私欲」の塊だった。
決算書といえば損益計算書の売上高や利益にしか興味のない経営者。
それがバブルの崩壊を機に、自己資本の持つ意味と重要性に気付き
経営とは「公利公欲」であると気付いた。

では、公利公欲とは何だろう?
お客様や社員のために経営するといった道徳的、倫理的な精神論だけでは足りない。
経営とは「人・もの・金」という社会の経営資源を使って儲けさせてもらうことだ。
だから、儲かれば社会に還元する。
経営者であれば「税金を払う」か「雇用をつくる」か。
それが究極の公利公欲である。

松木さんは現在60名を超える社員さんを雇用するだけでなく
まもなく自己資本1億円のステージに立とうとしている。
それは、同じくらい税金を払って世の中に還元したという証でもある。
だからこそ、それが信用となり金融機関からの資金調達を容易にする。

今回、自ら「自分にチャンスを与える生き方をしなさい」というテーマを掲げ、
決算書を開示して事例発表された松木さん。
会場には社員さん6名のほか取引先の金融機関の方も同席された。
BSビジョンは、社員さんにとっては自社で働く自信と誇り、
金融機関をはじめ取引先の方にとっては信用と信頼につながるにちがいない。
エム・カンパニー50期に私は102歳! ぜひ、うれしい報告を聞きたいものだ。

BSビジョンは何度も公言してこそ実現する。
みなさんも、ぜひ、ビッグなBSビジョンを社員さんや取引先の関係者の方の前で公言してください。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 数字を乗せて話す、ビジョンを語るというのはこういうことなんだということが分かりました。組織づくりという部分でも学びがありました。
・ 夢・ビジョンを明確にすると戦略・やり方は無数に出てくる!! ビジョンを明確に、そしてどんどん公言します。
・ 「社長の仕事を3つ」という質問に「人を育てる・夢を創る・勉強する」。インパクトがありました。
・ 本日あらためて自分が考えるべきことと、行動しなければならないことが分かりました。松木社長のような数字に強い、勉強して夢を大きくもつ経営者になります。
・ BS経営とは大きい会社ではなく強い会社。そのためには自己資本を殖やす。明確なビジョンを持ち、公言する。そしてやり続けることが大切。
・ 「うまくいったらお金が儲かる・失敗したら経験が儲かる」会長の言葉が刺さりました。やはりビジョンは幹部や社員さんのイメージできる「カタチ」と財務の両方をしっかりつくっておかないといけないと実感できました。
・ 今から2年間独立しようと思っています。その決意を固めるために参加しました会長の話も松木さんの話も元気の素になりました。
・ 松木社長がすごく楽しく話している姿を見て、社員さんもワクワクすると思いました。
松木社長の「素直に学んだことを実践されている」のが今の結果だと思います。
・ 話を聞いて自分が抱えていた悩みの解決の糸口が見えた気がしました。「やはり自分もついている」と感じました。
・ 一つひとつビジョンを達成されていくエム・カンパニーの50周年が楽しみ。自分も出資できるように個人資産を貯めておきます!
・ BS経営に刺激を受けました。夢、ビジョン、心が膨らみました。続けて学んでいきたい。
・  松木社長を支えたのが白川常務だったというお話しを聞いて、私もわが社の社長にとって必要な社員になりたいと思いました。

投稿者 Katsuo : 02:03

 

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