2017年01月01日

No.1758 2016年12月度 実践目標の進捗報告

新年おめでとうございます。
皆様にとって健やかで幸せな年でありますよう祈念いたします。

昨年は正月早々、病院で新年を迎えたが
今年の新年は澄み渡る大空のごとく、一点の曇りもなく晴れやかだ。
ちなみに私の2016年は、おかげさまで年頭に公言した目標をほぼクリアできた。

70代になって始めた木村塾やBS経営セミナーは、
12月をもってひとまず定期開催をお開きとさせていただいた。
UBIの企業研修として始めたパワーアップセミナーも、スタートから20数年、
年末の1088回をもってピリオドを打った。

「共に学び共に成長する」「豊かさの創造 より以上を目指して生きる」
「情熱を燃やせ! 挑戦する勇気を持て!」「誠実であれ」
「やってみなわからん やったことしか残らん」
5つの理念を掲げた学びの場から、大勢の起業家が巣立った。

お陰さまでBS経営の輪は全国に広がり
大きなBS実績を創り出している起業家が次々に誕生している。
これからは、時代変化に対応し、ここでの学びを礎として
さらに進化、発展させていただきたいと期待している。

今年は77歳、ラッキーセブンがゾロ目になる幸運な年だ。
郷里、益田と、私を育ててくれた大阪とに対する恩返し活動を続けつつ
健康に留意して、新たなネタを求めていろんな世界を見てみたいと思っている。
お蔭さまで好奇心はまだまだ衰えることを知らない。

島根県の益田から17歳で大阪にのぼって60年。
「知らないこと」を武器として一直線に歩み続けた起業家人生は、
ほんとうに面白くエキサイティングだった。
この上ない、いい人生を歩ませていただいた。
私は最高に運のいい男だと思っている。

支えてくださって皆さん、
後に続いてきてくださった皆さん、未来を切り拓いてくださる皆さん
ご縁をいただいた全ての方々に心から感謝申し上げます。

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☆では、新年のご挨拶と合わせて私の12月度 実践報告を。

・減量、減塩、断酒
・万歩計480/500万歩
・ヘルスケア、フロア階(3m換算)35,000/20,000階
・登山20/20回

・読書90/30冊
・英会話66/50回
・写経4,940/4,500枚(累計)

大阪木村塾受講生 1,050/1,800名
11月「第2回マジッククラブスタート」
「デザイン思考講座」

投稿者 Katsuo : 00:00

2016年12月27日

No.1757 木村塾やってみよう会12月度例会・最終回

12月20日、大阪市北区の手品家梅田店で第98回「木村塾やってみよう会」を開催。
いよいよ本会最後となる「我が人生を語る」セミナー。
大トリを飾ったのは(株)メンタルパワーパートナー代表取締役の森西美香さん。

「心技体」心と体と技術をつなげ能力を引き出すコーチングや研修を行う。
現在、個人のコーチングや企業研修を行う「オフィス・ニーズ」、
主にその指導者や企業のリーダー育成をはかる「メンタルパートナー」、
メンタルコーチで地域を元気にするNPO法人「健康づくり推進機構BTB」の3法人を展開する。

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1967年生まれ。京都府宇治市に生まれた。
クリーニング店を営む実家は近所で「ムツゴロウ一家」といわれたほど動物好きな家庭。
妹と茶畑を走り回り、犬、ウサギ、ハムスターに囲まれてすくすくと育った。
出産の半面、死とも向き合うことも少なくない。
命の大切さを肌で感じる中、お父さんの口癖「夢は叶うから心に宿る」
という言葉が森西さんの脳裏に刷り込まれた。
「商売人の家で育ったこと。自然と動物に育まれたこと。
そして夢は叶うという父の口癖。この3つが私をつくったのだと思います」
今回の人生の棚卸であらためて発見した宝物だ。

高校卒業後、就職。お稽古事として始めたエアロビクスにはまった。
「体が床に吸い込まれる感じ。気持ち良すぎて泣けた」。
すぐさま、自分もインストラクターになりたいと本格的に練習を始め、19歳で夢を叶えた。
梅田にあるスタジオ。「お客さんから気持ちよかった、ありがとうと言われてうれしかった」。
ショーにも出てスポットライトを浴びた。宝塚の男役になったようで輝いた。
充実した毎日。競技大会にも出るようになった。

しかし、人気商売。つねにプレッシャーと闘っていた。
身体を酷使して心の声を無視していた。
とうとう体が悲鳴を上げた。
横になると息の仕方が分からない。血尿が出てドクターストップがかかった。
休むと収入が途絶えて生活が苦しくなった。不安から自信を失い、自分を見失った。
「なぜ仕事をしているのか分からない」「どうして生きているのか分からない」
あらためて見回すと同僚もまた同じように悩んでいた。
心身一如を実感した。

「健康て何?」。自問していた時に阪神大震災が起こる。
沢山の人が亡くなる中、神戸に住んでいた森西さんも被災したが命は助かった。
「自分が生きている時間は、誰かが生きたかった時間」
「人生で大切にしているのが何なのか」が見えてきた。
競技生活を引退し、付き合っていた彼氏と結婚。
体だけではない「真の健康」を広げる活動を始めた。

実践心理学やコーチングに出会ったのもそのころ。
アメリカに渡り、メンタルトレーニングや「NLP神経言語プログラミング」という
コミュニケーション心理学を勉強した。
「心と体が一つにつながった瞬間だった」。
「夢は叶うから心に宿る」から「心に強く信じた夢は必ず実現する」に広がった。
「人生を真剣に変えようと考えたときに人生は変わります」。

10年後のビジョンを描いた。
ビジョンが見えると「何をやればいいか」が見えてきた。
「夢の種が芽を出した」。
2004年、オフィス・ニーズを設立。森西さん、36歳だった。
「講師として一人ひとりの輝きを引き出す喜びを知りました」
2010年には株式会社メンタルパワーパートナーを設立し、指導者養成の団体を立ち上げた。
「10年間で1,000人のコーチを立ち上げます。」現在、350人だ。

そして2011年、東日本大震災が起こる。
阪神大震災の体験がフラッシュバックして涙が出て震えが止まらなかった。
「恩返しをしたい。」すぐさま東北に入った。
心と体の健康づくりで被災地支援をしようと声をかけると仲間が集まった。
行政や医療関係者からは「手伝いは要らない」と断られたが、
まずは募金活動を始め、動いた。
核となる専門家が集まり、被災地の健康支援をスタートした。
2013年にはNPO法人「健康づくり推進機構BTB」を設立。
以降、身体づくりから人をつなげ、地域をつなげ、日本をつなげる。
地域福祉コンサルタントとして行政と共催し、
災害時に役立つ「防災からだづくり」の普及に力を注ぐ。
「海の水も1滴の水が集まっている。1滴の水が集まり海になるまでやっていこう」
と呼びかける。

「人生の出来事、すべて資源」「心技体とビジョンがあればお金もついてくる」
30年を振り返って森西さんの実感だ。
これから10年後のビジョンを発表した。

経営は言葉と数字。渋沢栄一も「右手に論語、左手にソロバン」と言っている。
森西さんは数字を「売上」で示したが、「売上」ではなく、
BS(バランスシート)の自己資本額、つまり資産であり貯金額だ。
会社としていくら資産をつくるか。この資産が未来をつくる。
PL(損益計算書)に現れる売上げは、1年ごとの結果に過ぎないが、
BSは過去・現在・未来の数字を表す。
森西さんは改めて「10年後、自己資本額1億円」を公言した。

夢は言葉だけでは幻想だ。
皆の前で公言した言葉と数字は、何よりも心にしっかりと刻まれたはずだ。

なお、当会が始まって7年。正直、ここまで続くとは思ってもみなかった。
門浦さんをはじめバトンをつないでくださった歴代塾長、お手伝いくださった皆さん、
会場としてご提供いただいた手品屋の前田社長ほか龍峰店長、スタッフの皆さん、
そして、ご参加されたすべての皆さんへ心から感謝申し上げたい。

木村塾は離れるが、来年度は堀江かりんさんが「BS経営セミナー」として
やってみよう会の要素も盛り込んだ経営セミナーを新規にスタートしてくださる。
大いに期待している。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 森西さんの「夢は叶うから心に宿る」「真剣に考えた時、人生は変わる」の言葉に生きる勇気をいただきました。
・ ブレない夢、ビジョンは必ず叶う。実践で経験されているのがよく分かりました。2018から大不況が来るといわれる中、生き方、あり方が問われる時代だと痛感します。
・ 「人生の出来事、すべて資源」「一滴の水が集まり大海の海となる」「夢は叶うから心に宿る」。発表ありがとうございました。
・ 森西さんの目指す世界、すごく共感できました。チームビルディングのお話しの中で「ビジョン、理念、夢を共有する」という言葉が響きました。
・ 組織の中でコーチングの必要性を共感した。
・ あらためて幼少期の環境、とくに親の言葉は影響力があると痛感しました。
・ 森西さんの生き方はもちろん、組織の作り方、言葉の使い方、すべて勉強になった。貴重な発表だった。
・ やってみよう会で学んだこと、出会った人、私の人生の宝物です。ありがとうございました。

投稿者 Katsuo : 00:01

2016年12月15日

No.1756 木村塾パワーアップセミナー「木村塾パワーアップセミナーとは?」

12月13日 大阪市北区にある手品家梅田店で第1088回パワーアップセミナーを開催。
木村塾での定期開催としては最終回。
私も門浦塾長も出張のため、大本達也さんが司会進行を務めてくださった。

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その場で与えられた即題に対して考えを頭の中でまとめ、
2〜3分間スピーチするパワーアップセミナー。
このセミナーを始めて22年になる。

人前で全く話すことのできなかった私が、スピーチ力をつけるために
知人に紹介されたのが浅田幹子先生だった。
ショートカットで背筋の伸びた姿勢が美しいハンサムウーマン。
凛とした佇まいは、今もひとつも変わらない。
せっかく勉強するなら社員にもと、社内研修していただくことになったのが始まりだ。
お蔭さまで、自分の想いややりたいことを表現する力を付けた。
ここでの学びが社風の改善に大きな役割を果たし、今日のUBIを育てた。
浅田先生との出会いがなければ私の成長も会社の発展もなかった。

その後、取引先など外部の方へもご参加を呼び掛けて「早朝セミナー」となり、
木村塾の発足後「パワーアップセミナー」と名前を変えて今日に至った。
たくさんの方のお力添えで2013年には「1000回」を達成。
大阪第2ビルで行った記念式典が、つい昨日のように思い出される。

パワーアップセミナーは、プレゼン力を付けると共に
人の話を真剣に聴いて人間力を付けるセミナーだ。
その結果、コミュニケーション力が高まり、信頼関係が深まる。
小さな成功体験を重ねることで自信がつき、内なる力が湧き起ってくる。

最終回のお題はずばり「木村塾パワーアップセミナーとは?」
「自分の中で成長を一番実感できる学びの場だった」
「初対面や世代の違う人と話せるようになって世界が広がった」
「言葉の力を知った。言葉にすることで夢が実現した」「人生を変えた」
「人の話を聴くことで多様な価値観があることを学んだ」など、
参加者は自分にとってのセミナーの存在価値、成果、成長を嬉々と語った。

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この日も浅田先生から発表者一人ひとりにフィードバック。
そして、ワンポイントアドバイスも。
「みなさん、パートナーを旦那とか、嫁さん、家内、奥さんと呼んでいませんか?
正しい表現は夫、妻です。どうぞ美しい日本語を使ってください」
「同じ意味でもいろんな表現を持つ日本語。その豊かさを知ってほしい」。
浅田先生からの貴重なプレゼント。

ラストは塾生の皆さんから浅田先生に、謝辞とともに花束と記念品が贈られた。
「このセミナーがあればこそ、私もこれまで元気に頑張れた。大勢の人に
出会わせてもらっていろんな話を聴かせていただき、ありがたい22年でした」。
涙ぐむ浅田先生。

1088回。浅田先生、ほんとうに長い間、ありがとうございました。
そして、門浦智さんをはじめバトンをつないでくださった歴代塾長、
参加してくださった皆さんに心から感謝の意を捧げたい。

なお、木村塾としてのパワーアップセミナー開催は終了するが
若い塾生の長谷川夕起さんが浅田先生を講師に招いて
新しいスタイルで引き継いでくださることになった。
新年1月17日にスタートする予定(場所、名称は未定)という。
なんとうれしい話だろう。
新生パワーアップセミナー、大いに期待している。

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投稿者 Katsuo : 00:31

2016年12月13日

No.1755 大阪木村塾 BS経営セミナー 12月度例会

本年最後のBS経営セミナーが12月6日、大阪市北区の手品家・梅田店で開かれた。
ゲストスピーカーは中央区にある堀江トラスト株式会社社長の堀江悟さん(56)。
木村塾では3回目の登壇。
仕事は別にライフワークとして笑いを通じて人生を学ぶセミナー「悟道(ごどう)」を開く。
ファンも多く、会場には当セミナーで過去最高の100人を超える参会者が詰めかけた。

堀江さんは27歳で開業、来年30年を迎える。
土地家屋調査の仕事のみならず今年4月に同社を立ち上げ、不動産業にも進出した。
境界紛争の土地に着目し、土地の境界を決定する「筆界特定」のプロとして、
新規事業を展開する。

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「測って測って測り知りない」という、その人生は広く、深い。
難産の果てに誕生した堀江さんに、お母さんが口癖のように言った。
「うちはあんたに殺されかけた」。
長い間この言葉に呪縛され、自己承認できずにいた。
小学3年の時には淀川で溺れて九死に一生を得る。
幼心にも「仮死状態の中で死ぬほうがラク」という記憶が残った。

17歳の時にお父さんが交通事故で両足を切断する。
働けなくなったお父さんに代わって生活を支えるため、高校を辞めて焼肉店に勤めた。
「焼肉の鉄板を50枚くらい洗う毎日。蝶ネクタイを付けていらっしゃいませ、
とやっていると友達が食べに来た。悔しかった」。
その悔しさと中卒のコンプレックスがバネになった。

職業訓練校を経て測量士になった。
23歳で結婚。家賃1.5万円の府営住宅でスタートした新婚生活。
2人の娘さんに恵まれた。
「家族を食わせなあかん」という責任感が堀江さんの意欲に火を付けた。
勤めの傍ら、必死で勉強して土地家屋調査士に挑戦。
23歳から受験し、3発合格。25歳だった。合わせて同年に宅地建物取引士にも合格。
人生で初めて味わった成功体験。コンプレックスが消えると人生が好転した。

27歳で自身の事務所を立ち上げた。
日本のバブル経済が始まり、開業後は破竹の勢いで伸びた。
15万円の月給が、翌月150万、300万、600万・・・瞬間風速では2000万円に。
「自分は天才やと思った」
大阪城を眺めるマンションに住み、ハーレー、ボルボ、ロレックス。
ブランド品を買いまくり29歳で鶴見区に5,000万円の家を購入した。

1991年、31歳でバブル経済が崩壊したが、事務所は5人。
「シンプル イズ ストロング」の経営で乗り切り、好調の波は38歳まで続いた。
当時、お母さんが使っていた手帳にメモが残っている。
『また悟に天神橋筋で叱られる。私のことで切れそうとのこと。止められたらいいのに。
来年から年金も出るし。お父さんと2人と1匹、生きていけたら。節約、節約』。
「傲慢やったんです。人間、傲慢になったら人間と違います」。
亡き母親が遺した手帳を堀江さんは、傲慢の戒めとして大切にしている。

一方、堀江さんの人生は、病との闘いでもあった。
病名は「不安神経症(パニック障害)」や「うつ病」。
これまでに3度心の病にかかっている。

その度に病院で治療を受けたり、心理学の本を読んだりした。
筋トレで体を鍛えると治まったこともあった。
そんな中で気付いたことがある。
「感情は自分の意思でコントロールできない。放っておけばどんどんマイナスになる。
だから変えるにはプラスしかない。プラスの言葉、プラスの行動しかない」。

40歳の時には病気の根源が「自己承認できていない自分の中にある」と知る。
「母の『難産であんたに殺されかけた』という口ぐせから、
産道にずっと狭まれていた自分、自己承認できていない自分がいたんです。
『苦しい、助けてを言いなさい』というトレーナーの言葉に
思いっきり泣くと赤子のように生まれ変わりました」。
48歳、リーマンショックの時には、母親の死やスタッフの反乱と重なってうつ病を発症。
このときは岩波療法という呼吸法を取り入れた心理療法で良くなった。

結婚30年目、53歳に時には離婚を経験した。
「財産は全部、前妻に渡しました。すってんてん、いや、100万だけもらった(笑)」
「カネない、髪もない自分。なのに『私、稼ぐ自信ある』と言ってくれた女性がいて」。
その女性こそ妻、かりんさん。54歳で再婚した。かりんさんは当セミナーの主催者だ。

「どんな苦しい事も辛いことも、すべて笑いに変える」。
経験から紡ぎ出した堀江さんの人生哲学だ。
昨年はキリマンジャロにも登った。
「どんなに高い山も一歩、一歩。成功はこれしかない」。

一方、ビジネスでは53歳で裸一貫、資産ほぼゼロからまき直し。
にもかかわらず、銀行から5,000万円の融資を受けた。
しかも無担保、無保証。
融資を可能にしたのは30年間の決算書。
それと木村塾で学んだ「5年後、10年後のBSの数字を入れた未来ビジョン」。
決算書のBS(バランスシート)に裏打ちされた30年間の堅実な経営と、未来予測が
金融機関から評価された。

1年ごとのPL(損益計算書)に対して、BS(バランスシート)は過去から現在、未来を表す。
売上に注視するPLを「建物」を例えるなら、自己資本に注視するBSは「基礎、土台」だ。
どんなに高い建物も、基礎がなければ崩れてしまう。

最後に堀江さんは4年先に迫った「60歳のBSビジョン」を数字入りで宣言した。
「資本金1,000万円の会社を2020年に自己資本1億円に。そしてエベレスト登頂。
大学院でMBAをとって大学教授に」。
勢い付いて70歳(2030年)から100歳(2060年)のビジョンも公言。
「70歳で自己資本10億円。百名山と7大陸のサミットを制覇します。
80歳で自己資本100億円。90歳で身体障がい者や精神障がい者のための病院をつくります」
ちなみに100歳のビジョンは
「作業服を着て測量していたい。やっぱりこの仕事が好き。
生涯現役でレンズを覗きながら、あー楽しかったといって死にたい」。

年末のトリにふさわしい素晴らしい発表。
会場は大拍手に包まれた。

なお、木村塾BS経営セミナーは、来年度より「やってみよう会」と合体し
月1回の開催となる。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 堀江さんの生き様が、言葉に、エネルギーに乗っていて非常に心を動かされ、刺激を受けました。今日からさらに行動します。
・ 「マイナスは過去の産物」「やることは計画して実践するのみ」「人の話を聞いてスペースをつくる」など名言揃いですごく良かった。
・ 「真実は一つ。解釈は無数。プラスの解釈はプラスの行動から起きる!」名言です。
・ 笑いのある人生。人の話を聴きまくりスペースができたら一言かけて心の中に入り込む。折り返しの人生は成功率が高いなど、心に響いた。
・ 事実は一つ。それをどう見るか。絶対に諦めない心。いかに実践するか。未来で生きるか、過去に生きるか。全て心に残るお話しでした。
・ 「不安は過去の産物」。自分は過去を向いて未来を向いていなかったと、あらためて思った。
・ 私も深い呼吸で一歩一歩進んでいこうと思います。
・ 堀江さんの「プラスの行動がプラスに働く」「人間傲慢になれば人間でなくなる」「苦しい時には笑うとなんとかなる」「一歩一歩やるしかない」「人生=金+時間」。木村会長の「一人当たりの利益」「BSを共有することで経営社員をつくる」。勉強になりました。
・ 自分もポジティブシンキングに生きてさらに笑顔満開の人生にしようと決めた。100歳までのビジョンをコミットしてみようと思います。
・ 経験が深みをつくるのがよく分かりました。木村会長の「経営社員をつくる」が心に響きました。
・ 木村会長の話は何度聴いても素晴らしい。弊社でもBS経営に取り組むよう息子にセミナー参加を勧めます。
・ BS経営とは私利私欲から公利公欲経営へのチェンジ。少しヒントがつかめました。

投稿者 Katsuo : 01:21

2016年12月06日

No.1754 木村塾登山部 第7回「六甲全山縦走大会」開催

木村塾の師走の風物詩「六甲全山縦走大会」が12月4日開催された。
須磨浦公園を出発、高取山〜菊水山〜鍋蓋山〜摩耶山〜六甲山を経て宝塚までの区間、
全56kmを12時間以内で制覇する鉄人登山。
今年は東京からのメンバー2人を迎え、21名が参加した。
後半はあいにくの雨に見舞われたが、一人の怪我人も出さす無事終了した。

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木村塾の六甲全山縦走は、単に山登りを楽しむ大会でも勝者を競うレースでもない。
自らが1/3・1/2コースを含むゴールのタイムを設定し、その目標に向かって挑む。
ライバルは自分。己との闘いだ。
練習を積み上げ、負けそうになる己の心と闘いながら各々が個々の記録に挑む。

縦走者だけではない。
準備、送迎、炊き出しなど大会を運営するサポートメンバーもまた、
「皆が最高のコンディションで登れるように」という目標に向かってベストを尽くす。
全員がチャレンジャーなのだ。
だからこそ、誰もが極上の達成感に包まれる。
木村塾の六甲全山縦走は参加者全員「己が主人公」のドラマだ。

山道はしばしば人生に例えられる。
上り坂もあれば下り坂もある。「まさか」という坂もある。
それを乗り越えてゴールに向かうプロセスは人生そのものだ。
前に進むだけが勇気ではない。
場合によっては「踏み止まる」「引き返す」勇気も必要だ。
惜しくも思う結果に届かなければ、再チャレンジすればいい。

そして目標を達成したときに身体の奥底から湧いてくる「自信」と「感謝の心」。
それが未来を生きる原動力になり、変化対応力になる。

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ゴール後は宝塚ワシントンホテルで温泉に浸かって館内のレストランで乾杯!
文野登山部長から全員に完走認定証や感謝状が贈られた。

なお、木村塾が主催する六甲縦走大会は今年度をもって終了する。
2010年にUBI株式会社の社内行事に合流する形でスタートして今年で7年。
正直な話ここまで続くとは思っていなかった。
歴代登山部長をはじめ参加してくださった皆さんの熱意と勇気に敬意を払い、
あらためて感謝申し上げたい。

しかし、六甲山は永遠だ。
己の記録にチャレンジする仲間がいる限り、縦走大会は続くと信じている。
来年以降も志ある方が集まって開催されるなら私も喜んで参加したい。
「やってみな分からん。やってきたことしか残らん」
これからも、より以上をめざして共に成長しよう。

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投稿者 Katsuo : 02:12

2016年12月01日

No.1753 2016年11月度 実践目標の進捗報告

今年もいよいよ残り1カ月。皆さんの実践目標の進み具合はいかかでしょうか?
私にとって11月は飛躍の月になった。
というのも正月に転倒して以来、ドクターストップがかかって
登山やアスレチッククラブでのトレーニングから遠のいていたが、
先月半ばから久しぶりに六甲登山にチャレンジし、
徐々に距離を伸ばして先日はついに山頂まで登ることができた。

10年ひと昔というが、六甲登山1,000回達成から10年。
当時と比べると近頃は驚くほど体力の衰えを実感する。
やはり歳には勝てないのだろうか。
少しばかり弱気になっている自分がいた。

しかし、アスレチックトレーニングに代わって
新たなヘルスケアの目標として設定した階段昇り。
これが功を奏した。
最初は住まいのある25階建てマンションの階段を昇ることから始め
半年ほど続けると、梅田周辺のビルや駅の階段を含めて
1日平均100階がラクに昇れるようになった。
最近では150階越えも楽勝だ。

時には「止める」決断も勇気だ。
生きるためには手放すことが必要な時がある。
しかし、「できない」ことの言い訳はしたくない。
こちらはだめでも、他にできる方法はないかと考える。
諦めなければ「策」が生まれる。
今回の私は「階段昇り」がそうだった。
アスレチックがだめでも足はまだまだ使える。これで行こう、と。

やり続けると見えてくるものがある。
こつこつ積み重ねた努力は、結果に通ずる。
体力づくりだけではない。ビジネスも人生も同じだ。

久しぶりに挑んだ六甲山は体も軽く、とにかく爽快だった。
どんなに贅沢をしても、この達成感には及ばない。
この分なら日本百名山、いや80歳でのキリマンジャロ再登頂も夢ではなさそうだ。

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☆では、私の11月度実践報告を

・減量、減塩、断酒
・万歩計441/500万歩
・ヘルスケア、フロア階(3m換算)29,800/20,000階
・登山16/20回

・読書88/30冊
・英会話62/50回
・写経4,890/4,500枚(累計)

・大阪木村塾受講生 1,220/1,800名

・益田市活性化への
11月「第2回マジッククラブスタート」
「デザイン思考講座」

投稿者 Katsuo : 01:26

2016年11月15日

No.1752 木村塾やってみよう会11月度例会@

11月8日、大阪市北区の手品家梅田店で第97回「木村塾やってみよう会」を開催。
今回の「我が人生を語る」はフリーライター、池永美佐子さん。
我が著書『逆境に勝る師なし』や『BS経営のススメ』の執筆の際にお手伝いいただいた。
木村塾にもKKFC時代から参加され、会場には懐かしい顔ぶれが集まった。

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世界遺産の下鴨神社を遊び場として成長した池永さん。
子ども時代、おばあちゃん子の彼女はお墓参りのパートナーを務めた。
お墓とは恐怖の対象ではなく、命を考える場所だったのかもしれない。
また、母親の「女性も技術があれば社会に出て活躍できる。自立できる」という口癖は
生涯を貫く池永さんの基盤となった。
洋裁が好きでデザイナーを志すものの、時代背景もありそれを断念した母親。
紳士服店に勤める父親の職場の仕事を内職でこなすような女性だった。
ちなみに池永さんは2人姉妹の妹で、姉は医者になっている。

大人しく真面目で運動が苦手な少女時代。唯一の成功体験が、小学校の壁新聞。
書くことの楽しさに目覚めた。中学では美術部、高校では新聞部、
マスコミ関係の仕事に付きたくて関大の社会学部に進んだ。

時代はバブル真っ只中。卒業後、スポーツ用品の産業新聞に勤め記者になった。
華やかな記者会見やさまざまな人と接する日々を過ごし、
「名刺一枚でどこへでも行ける面白さ」も満喫するも、失恋がきっかけで転職を決意する。
次は広告制作会社で広告の仕事に。
海外旅行に行ったこともないのに、好きな人を追いかけて飛行機に飛び乗り
NYまで行ったのもこの頃だ。
「やったらできる」と機内で喜びに浸った。
しかし、またもや失恋で転職。「終わりは次の始まり。環境を変えて新規まき直し」と笑う。

やっと恋が実って1985年結婚を機にフリーランスになる。
ご主人は同じ歳でPRの仕事をしている男性。奇しくも私と同じ益田の出身だった。
この「益田」が、後に池永さんと私を結びつけることになるのだが。
翌々年には長男、続いて長女が誕生した。

幸せに見えた彼女の人生を、夫の病気が影を落とす。
1989年に発病、100万人に一人という病気(腹膜偽粘液腺腫)だった。
楽天家のご主人は、病気のことも軽く考えて過ごし普通の生活を送るものの、
1995年から2年間に3回もの手術を経験することとなる。
ご主人がベッドで子供達に綴った物語がある。
『てっちゃん、てつこ、てつぞうからの贈り物』、
そして益田の情景が描かれる『自転車に乗った小学生父さん』。
クリスマスに子供達に贈るため、著者名は「池 讃太(サンタ)」。
父から子供への愛情が溢れる贈り物だ。
のちに池永さんは物語に共感してくれた小学生の絵を入れて素敵な絵本にした。

最後の手術の時、池永さんは手術室へ呼ばれた。
白衣を着て恐る恐る入ると横たわるご主人がいた。主治医から病巣が思いの外広がり、
完全に除去できない旨を伝えられ、それを受け入れるように言われる。
手術室を出てご主人のお母さんと手を取り合って泣いた。その日から「姑は戦友になった」。
さらに、病気とお金がないという二つの現実も彼女を待ち受けていた。
「病気とお金。どちらか一つなら人は耐えられる。二つ同時は本当にしんどい」。
当時を思い出して、そう語る。
こうして絶食の中、タバコを燻らせ、夫は他界した。
葬儀の日には200名を超える方が別れに集ってくれた。
「一人ではない、こんなに沢山の人に支えられていた」と気づいた瞬間でもあった。

一方、6歳と9歳の子供を抱えた池永さんだったが、遺族年金は下りなかった。
理由は病気の発症と前後する形で起業していたご主人。
国民年金の一部未払いにより受給資格に届かなかったこと。
「夫はお金は遺してくれなかったけど、子供と人と仕事を遺してくれた」と回顧する。
逆境が池永さんの眠っている潜在能力をも引き出した。

「心優しく、粘り強いシングルマザーに」。決意とともに歩む日々が始まった。
フリーライターとしてのテーマも、生活に根ざしたものから自然と、
命や生き方に関わるものに変わっていった。
スポーツニッポンでの連載「リストラに勝つ、転職で天職」で取材した80人との出会いが、
自らの生きるバネになった。起業家の生き方にも共感した。
「人は皆、人生の主人公。心の窓を開くと力が出る。逆境こそが宝」。

私との出会いもこの連載の取材がきっかけだ。
私の講演を聞き、思わず「木村さんの人生を書きたい!」と願い出た彼女に、
私は『逆境に勝る師なし』の編集協力をお願いした。
益田出身のご主人が天国から繋いでくれたご縁かもしれない。
「ほとばしる想いがチャンスを呼び込む。そして、やっていたらできた」。池永さんは言う。

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もう一つ彼女に自信を与えてくれるのが登山。木村塾がやっている六甲全山縦走にも挑戦。
2011年の1/3を皮切りに、1/2、2/3と毎年距離を伸ばし、2015年にはついに全山制覇。
さらに昨年は、ひょんなことからキリマンジャロ登頂にも挑戦した。
9月の登頂に向けて、練習の日々が始まった。ほぼ毎週登山。
「気づくと登山靴を履いていました。登山を決断したら行動が変わるんです」。
人はビジョンがあれば行動が変わるのだ。

9泊10日のキリマンジャロ登頂ツァー。
半袖で登り始め山頂付近はマイナス20度にもなる。高山病のリスクもある。
山頂アタックの日。深夜に山小屋を出発し、ご来光を拝むために山頂を目指す。
池永さんもガイドやポーターとともに挑戦するが、途中で力尽きてしまう。
「命が大事。断念するしかない」そう判断した。
しかし担当のポーターは言葉が通じない。仕方なく無我夢中で登り続けた。
意識もうろうの中「オーーイ、もうちょっとよ!」という仲間の声が耳に入る。
下ばかり見て登山していたのに、上を見る余裕ができた瞬間だった。
そして山頂に輝く三日月と一番星。それは家の玄関にあるリトグラフと同じ光景だった。
ご主人が誕生日に贈ってくれたリトグラフ。その光景が山頂で待っていた。
5,685m、キリマンジャロ山頂ギルマンズポイントには、仲間と亡き夫の愛が待っていた。
そこに一歩一歩自分の力でたどり着いた。

池永さんの10年後の素晴らしいビジョン。
10年後までに10冊の本を出すことだ。『自己資本1億を作った起業家の物語』
『益田ものがたり』『金持ち母さん、貧乏母さん』『介護や終末医療に関するルポ』
そしてキリマンジャロを舞台にした恋愛小説。
彼女の中に自信や使命感と一緒に、本のテーマが湧いてきている。
ライターに必要なのは「聴く力=十四の心で耳を傾けること」だという。
「これからも自分の心に、そして人の心に耳を傾け、いろんな価値観や生き方を伝えたい」と話した。

出版不況と言われるが、本はものすごい力をもっている。
私が池永さんと出会って会社は10倍に伸びた。その要因の一つに著書がある。
池永さんの協力で著書を上梓したことで何より信用力がついた。
それまでさまざまな広告媒体に多額の費用を投入したが、さしたる効果はなかった。
しかし、自伝を出すことで私自身に対する信用が高まり、会社に対する信頼となった。
池永さんは「自分は経営者ではないから」というが、人はみな経営者だ。
人生という道の。本10冊。このビジョンに向かって邁進してほしい。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 「やってみなわからん、やったことしか残らん」。まさに木村会長のこの言葉を具体化された池永さんの人生に大変感銘を受けました。
・ 好きこそ上手なれの形、そのままの人生のようです。芳村思風先生の仕事観を思い出しました。遺族年金をもらえないことも「生きる力を与えてくれた」という池永さん。何でそんなに強い人なのだろう!
・ 「想いがチャンスを呼び込む」「やってみたらできた」「考えなくていい。大丈夫、なんとかなる」心の支えになる言葉がたくさん散りばめられていて友達にも聞いて欲しかったなあと思うくらい素敵な話でした。
・ 思いが深く、本当に素敵すぎました! いつも強くて優しい池永さんの原点に触れて感動しました。
・ ペン1本で家族を支えて生きて来られた池永さんの強さを感じた。
・ 「インターネットを過信しない」という言葉に共感しました。芯の部分は実際に会ってみなければわからない部分です。そのことを気付かされました。
・ 人と人とのつながりは人生を大きく左右するもの。一つ一つの出会いに感謝したいと思いました。具体的なテーマをもって生きることが自己実現につながると理解しました。
・ 六甲登山もキリマンジャロも積み重ねて来られた強さに引き込まれました。値打ちのあるお話しでした。
・ 経営に行き詰まり勇気をもらいに来ましたが、池永さんの話で自分に足りないものが分かった気がします。
・ 池永さんがキリマンジャロに登頂できたのは、今までの人生の逆境を乗り越えてきた経験があったのだと感じました。
・ 心の窓を開けたらラクになれる、幸せになれる。私もやり続けます。
・ 誠実な人生に感動しました。諦めずに人生を真正面から立ち向かう姿に痺れました。
・ シングルマザーとして苦労されたのに、「苦労の垢」みたいなものが全くなく、心が洗われるような素晴らしいお話しでした。
・ 「逆境の中に宝物がある」は、心の宝にします。
・ アフリカの精神「ハクナマタタ」。何があっても大丈夫、何とかなるさ。「感謝の数だけ幸せになれる。流した涙の数だけ優しくなれる。汗の数だけ強くなれる」。感動しました。
・ キリマンジャロの頂上での月と星の空の話で涙が出そうになりました。すべての言葉が心地よかった。
・ ビジョンが人を創る。10年後の私からの手紙を聴いて、ビジョンが明確だなあと感動しました。私も手紙を書いてビジョンを明確にします。

投稿者 Katsuo : 00:16

2016年11月03日

No.1751 大阪木村塾BS経営セミナー11月度開催

11月1日 大阪市北区にある手品家梅田店で第54回大阪木村塾BS経営セミナーを開催。
広島に本社を置く潟潟Aルマックス代表取締役の青松勇介さんをゲストに迎えた。

17年前に売り場面積15坪の小さなゴルフショップからスタートし
日本のみならず世界60カ国にインターネットでゴルフクラブを販売する同社。
カンボジア法人を設立し、自社業務の外部依頼(BPO)を行うほか、
ネット販売で培ったノウハウをより多くの人に伝えるため、
ITソリューション事業を立ち上げてWEBマーケティングに力を注ぐ。

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青松さんは高校卒業後、サラリーマンを経て25歳でペイオフの会社を興したのを機に
起業家の道をたどった。
リアルマックス創業は30歳の時。
ゴルフ事業のきっかけは、お父さんから譲り受けた1本の中古のゴルフクラブ。
ネット販売すると思わぬ金額になり、これを機にクラブを仕入れてネットで転売を始めた。
コネも経験もお金もなかったが「ないからこそ知恵と行動力で勝負した」。
創業の精神でもある「トライ&エラー」を繰り返し、
見場からの実体験の中で新しい成功体験を積み重ねた。

ネット販売でも「あなたから買いたい」という顧客対応に力を入れる。
ゴルフ人口が減少する市場で飛躍のきっかけは、海外進出とIT事業の強化。
国内ではこの顧客対応やマーケティングなどの「コア業務」に集中、
2014年にはITのバックヤードをカンボジアに移し
自社業務のBPO(外部依頼)を行っている。
さらに現在は、ネット販売で培ったノウハウを活かし、
あらゆる業種業態に対するITソリューション事業に力を入れる。

また、私の著書をきっかけに9年ほど前からBS経営に着手。
自己資本で未来ビジョンを掲げる中、そのゴールに向かうプロセスで
マーケティング分析をして利益の出るところに資本を集中。
未来投資を始めた。
カンボジアの法人設立や人財育成もその一環だ。

「当社の強みを活かすだけでなく、どうイノベーションしていくか。
ハードだけでなくソフトで売っていく。未来投資することで3、4年後に返ってくる」。
現在、自己資本額は3億円となり、3年後10億円のBSビジョンに向かっている。

「BS経営にして一番良かったのは銀行からの信用。強いBSを持つと入ってくる情報が違う。
先日もメインバンク(信用金庫)から無担保、無保証で融資を受けることができました。
万が一、会社が潰れても家も取られない。ものすごい信用力」
と、そのメリットを明かす。

現在、社員は60名。日中韓、カンボジア、ウクライナなど多彩な国々から人が集まる。
「人財育成の秘訣は、一人ひとりの強みは何かを見極めること。
無理なことを無理な人に要求しても無理。それよりも強みと強みの結合」とも。

大事なのは売上ではない。バランスシートの自己資本だ。
バランスシートこそ経営者の通信簿。
BS経営は自己資本を積み上げて強いBSをつくる経営だ。
では、強いBSをつくるとどうなるか?
金融機関からの信用が得られて資金調達が容易になる。
調達した金を活かしてこそ経営だ。

さらにBS経営は、ビジョンを共有して経営のわかる社員 (経営社員)を育てる経営でもある。
自分よりも優れた人財が育てば、経営力は無限大に膨らむ。
人を活かし、資金を活かす。企業は経営者のものではない、社会のもの。
BS経営は、人・もの・金を活かし、それを何十倍にもふくらませる「公利公欲」の経営だ。

いまや日本を代表する起業家として各界から注目される青松さん。
ベースには「男は金を稼げ」という、昭和を駆け抜けたお父さんの言葉があったという。
若い頃はやんちゃをして警察のお世話にもなったこともある。
つっぱりヘアーでカメラをにらむ15歳の頃の写真を開示して会場を沸かせた。

失敗と挑戦、ビジョンを抱いて学び続けることの大事さ。
学歴がない。歳がいっている。地方だから。そんなことは全部言い訳。
やるか、やらないか。人生は、そのどちらかだ。
青松さんの人生が、そのことを教えてくれる。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ BS経営は資産を再投資すること。また、見えない資産である人を残すという目的があるということを学びました。資産をつくる源泉は人財。ありがとうございました。
・ 青松さんのライフストーリーに感銘を受けました。とくにご両親の起業家としての教え、マインドが青松さんのような起業家をつくったのだと得心しました。
・ BS経営強化の重要性。海外雇用の将来性。ITソリューション、多角経営の重要性。BSビジョンの共有により社員が育つ。本日の気付きです。
・ 青松さんのご両親の言葉「男は金を稼げ!」と「危機感を植え付けられて育った」が心に残った。自分の生き方にも子供の生き方にも活かしたい。
・ 前回発表したものです。私も青松さんのように公言したことを実現していきたいと思いました。
・ 顧客に価値を提供する。同じバックヤードでつくられる提供価値の違う2つのサイト。イノベーションを起こすヒントをいただきました。ネットでも接客がある。人材育成の大切さが分かった。
・ 「ないからやれない」のか「ないからこそやる」か、発想の違い。コア事業に集中する方針。コアとなるものを正しく見極め、集中する勇気が要る。それが分かった。
・ 青松さんの木村会長と同じ「やったみな分からん」精神。「ないから知恵と行動力がついた」という言葉が印象的。「根拠のない自信」も大切だと思った。
・ 青松さんの「強み×強み」「無理なものはやらせても無理」、木村会長の「ビジョンの共有で社員が育つ」。人財育成の秘訣を学びました。
・ 感動しました。世界を股にかける男、最高です!!

投稿者 Katsuo : 00:13

2016年11月01日

No.1750 2016年10月度 実践目標の進捗報告

人口減少に悩む日本。地域活性化事業に取り組む自治体は多いが
マジックで地域おこしをしようという市は、まず類を見ないだろう。

先月10月は、私のかねてからの夢であり
今年度の実践目標の大きな柱の一つである
「第1回益田マジックフェスティバル」が故郷、益田市で開かれた。

きっかけは、マジシャンでもあるマジックポット社長、前田真孝さんとの出会い。
「マジックは人を驚かせたり、楽しませたりするエンターテーメントであると同時に、
演ずる者の自己肯定感を養いプラス思考を育みます。究極の人育てになるんですよ」
前田さんのこの言葉は、故郷に何か恩返しをしたいと考えていた私に
一つのすばらしいアイデアを与えてくれた。

そうや ! 
益田にマジックを広めて新たな観光資源をつくり、地域おこしをしよう。
マジックを通じて子どもや若い人たちが自らの価値や存在意義に気付き、
挑戦する強い心を持てば、まちが元気になる。起業家を育てるきっかけにもなる。

「みんなの力でやりましょう」。
私の夢に賛同いただいた前田さんや、地域で少年サッカークラブを率いる大賀肇さん、
教育関係者のみなさんの呼び掛けで益田マジッククラブが発足した。
それが、ちょうど1年前の10月。

会場の「グラントア」は、美術館と劇場が一体となった島根県立の美しいホール。
有料公演にも関わらずチケットは早々と完売し、
子ども連れのファミリーら461名もの方々にお集まりいただいた。

ステージでは、1年間練習を積んだマジッククラブメンバーの中から
老若男女10人が臆することなく見事な手さばきで技を披露。
合わせて開催されたマジックポットに所属するパフォーマーたちの
世界レベルのマジックやイリュージョン、ジャグリングショーを前に
観客席は息をのむ静寂と鳴り響く歓声に包まれた。

人口減少だ、高齢化だと嘆くばかりで、手をこまねいていても何も始まらない。
やってみな分からん。
今回もそれを実感した。

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☆では、私の10月度実践報告を

・減量、減塩、断酒
・万歩計402/500万歩
・ヘルスケア、フロア階(3ⅿ換算)25,297/20,000階
・登山8/20回

・読書84/30冊
・英会話57/50回
・写経4,810/4,500枚(累計)

・大阪木村塾受講生 1,124/ 1,800名

・益田市活性化への
「第一回マジックフェスティバル」
「デザイン思考講座」

投稿者 Katsuo : 00:43

2016年10月29日

No.1749 木村塾やってみよう会10月度例会A

10月25日、大阪市北区の手品家梅田店で第96回「木村塾やってみよう会」を開催。
今回の「我が人生を語る」は(株)東栄大和クリーンセンター代表取締役、馬場孝至さん。
産業廃棄物の収集処理を行うほか、生産工場に対して
廃棄物の最適な処理方法を提案する廃棄物コンサルティング事業をメインに行う。

冒頭、馬場さんは「本日10月25日は債務超過に陥った当社が6年前に民事再生手続きを
終結した再生の日。奇しくもこの日に我が人生を発表するご縁をいただいたことに
感謝します」とあいさつした。

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1971年大阪府柏原市生まれの45歳。
祖父母のいる大家族に育った。実家は自動車整備工場だった。
「楽しいだけが取り柄の家でした。お金の苦労はしなかったけど、両親や農業を営む
祖父母の姿から働くことの大事さについてはしっかりと教わりました」。
小さい頃から祖父母の畑仕事をよく手伝った。
現在のリサイクル事業につながる「ものを大切にする心」は、祖母さん譲りだ。
子ども心に「大人になったら日本一のクルマ屋になる」と宣言した。

大阪産業大学短期大学部自動車工学科に進み、
卒業後、整備士として大阪トヨタ自動車に就職。翌年、家業に戻った。
「自動車整備の仕事だけでは先がない」と目を付けたのが土木業。
25歳の時には「資格と許可を取れば2ケタ上の公共工事を確保できる」と気付き
1級土木管理施工技師の資格を取得した。
馬場さんは自動車や土木系のほか環境系の資格を18種類も取得している。

ちなみに、馬場さんが家業に戻った1993年は「環境基本法」が制定された年。
リサイクル機運が高まる中、27歳の時には新たに産業廃棄物処理事業の展開を決めた。
祖母さんから受け継ぐ「ものを大切にする」DNAに火がついた瞬間でもあった。
環境系の新たな法律や国の融資制度が次々と生まれる中
1998年、ISO14000 (環境マネジメントシステムの国際規格)を取得し
現在の「東大和クリーンセンター」を立ち上げた。

30歳の時には大阪の廃棄物団体の会長に就任。
ビジネスだけでなく法律にも精通する馬場さんは
大阪府の環境条例をつくるワーキングチームの一員にも選ばれた。
環境ブームの追い風を受けて低いハードルで環境系の施設建設が次々とでき、
馬場さんの会社は「大阪で一番案件」を建てた。

「勘違いしていたんです。お金の苦労をすることもなく何もかも思い通りになって
それを自分の力やと。自動車リサイクル法ができたときは、これぞ私の仕事。
日本一の自動車リサイクラーになると大きな夢を描いていました」。

折しも「あなたのその夢にお金出します」と、都市銀行大手から融資話が舞い込んだ。
融資額はなんと6億5,000万円。しかも無担保で!
「最新設備を備えたバカでかい夢の自動車リサイクル工場」が完成した。

「こんなにいいことをしているのは自分しかいない。回りの声に耳を貸さず好き放題でした。
国も銀行もどんどん支援してくれる。銀行は金融コンサルタントを連れてやってくる。
これなら10億でも引っ張れる、何の疑いもなく信じていました」。

雲行きが変わり始めたのは北京五輪の少し前ぐらいから。
鉄の相場がどんどん下がり始めた。
それでも強気でいた馬場さんを打ちのめしたのが、リーマンショック。
1トン7万円だった鉄が、一気に7,000円ぐらいになった。

無担保で借りた借金は返せる当てがない。民事再生手続きを開始した。
押し寄せる督促状の山に「もう、死ぬしかないと本気で思い悩みました」。
「最終的には破産するしかない」。
社内の最終ミーティングで出した結果を、仏壇の前で土下座してご先祖に報告した後、
両親と弁護士に告げた。
が、その翌日
「なんと銀行から債務免除の通知が来たんです。銀行にも責任があるからと」

それが6年前の10月25日。
以来、妹さん夫婦の協力もあって事業は順調に回復している。

私生活でも35歳の時を皮切りに3度の結婚と離婚を経験している。
「すべて自分勝手な私が撒いた結果。子どもの頃は親に甘え、大人になってからは
社会に甘え、本当に情けない私でした。
自分の人生を棚卸して改めて思います。
甘えが自分をつくってきた。今日を機に本当に生まれ変わります」。
会場に駆け付けたご両親を前にして馬場さんはあらためて襟を正した。

経営者には2つのタイプがある。PL(損益計算書)を重視するPL型と、
バランスシートを重視するBS型だ。
PL型は一年ごとの売上に注力し従業員数、店舗数など規模を追うが、
BS型は長期的展望でバランスシートの自己資本を積み重ねて強い会社を目指す。
言い換えれば、現在しか見ないPL経営は部分最適、
過去・現在・未来にまたがるBS経営は全体最適の経営である。

これまでの馬場さんはPL型だった。
規模ばかりを追いかけて基礎がなかった。
かくいう私も、50歳まではPL経営者だった。売上や規模ばかり追い求めた。
19歳で起業し50歳までの31年間に貯めた自己資本は1,000万円に過ぎない。
しかし、バブルの崩壊で巨額の負債をつくったことを機に
経営の根本的な間違いに気付き、BS経営を導入。
50歳で「自己資本1億円の未来ビジョン(BSビジョン)」を掲げて向かった結果、
7年後にその目標達成。
2020年には20億円を達成できる勢いだ。

自己資本木費用の数字を入れた未来ビジョンをつくり、社員と共有すると
全員が経営者になり、何十倍も経営力が増す。
BS経営は社員(経営社員=幹部)を育てる経営でもある。

私は馬場さんの何十倍もの負債があったが、
死のうと思ったことはただの一度もない。
うまくいけば金が儲かる。
うまくいかなかったら経験が儲かる。
どっちも儲かる。
本当の失敗は何もしないことだ。

チャレンジし続けてきた馬場さん。その先には必ず成功がある。
現在、19期で自己資本2400万円。
「これを11年後の30期、56歳で自己資本2億円にします」
最後に馬場さんはBSビジョンを力強く公言した。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ すばらしい話でした。感動しました。もっと自分を誉めて承認してあげてください。今までの経験を活かして成功してください。必ずできます。
・ 馬場さん、最高!失敗の数々をこれからの成功の糧にしてビジョンを達成してください。応援します。私も失敗を恐れずチャレンジします。
・ 「ものを大切にする」という小さい頃からの価値観が仕事になっている。すばらしいと感じた。私生活での浮き沈みが馬場さんの人生を色濃くしていると思う。
・ 東京三菱UFJから6億5,000万円の融資を無担保で受ける。普通の人にはできない体験です。強い信念、行動力のある馬場さんだからできたこと。30期、56歳で自己資本2億円にするビジョン。必ずできると信じています。
・ とにかくこけだけの資格を取るだけでも努力家です。30期のビジョン実現に向けて頑張ってください。
・ 馬場さんの体験が失敗だとは全く思いません。木村会長が言われた通り「やること」が全てだと思えた1日でした。
・ 大手銀行から6億5,000万円ものお金を無担保で引き出せる。馬場さんの器の大きさを見た気がしました。今後、どんなにビジョンが大きくなっても「ものを大切にする」という理念は持ち続けていただきたいと思いました。

投稿者 Katsuo : 00:24

2016年10月25日

No.1748 益田マジック・フェスティバル開催 !

故郷、島根県益田市への恩返し活動「益田をマジックで元気にするプロジェクト」の第一弾
「第1回マジック・フェスティバル」が10月23日、
島根県芸術文化センター、グラントワ小ホールで開催され、
家族連れなど461名が参加した。

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人口約5万人弱の益田市。ここでも過疎化高齢化が進み経済が減速している。
プロジェクトはマジックを通じて自己肯定感の持てる子どもたちを育てる傍ら、
益田に「マジック」という新たな観光資源をつくり、まちおこしをしようという構想。
また、マジックは起業家マインドをもった人財育成にもつながる。

昨年の「益田マジッククラブ」結成から丸1年。
今回のフェスティバルは、クラブ主催者ボアソルテスポーツクラブの
大賀肇さんらの呼びかけで集まったメンバーのうち、
小学校2年生から70代までの10名が、自ら手を挙げて1年間の練習成果を発表した。

劇場と美術館が一体となった県内切っての美しい会場、グラントア。
そのホールをぎっしり埋め尽くす観客席を前に、メンバーらは
リングやロープ、トラランプ、大きな本、花や旗が出てくるボックスなどを操り
鮮やかな手さばきで観客を魅了した。

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後半にはマジックの指導に当たっているマジックポットの人気マジシャンと、
シルク・ドゥ・ソレイユのメンバーでもあるジャグリングパフォーマー、桔梗ブラザーズなど
世界で活躍するトップクラスのパフォーマーたちが出演。
生まれて初めて目にする本格的イリュージョンやジャグリングショーに
会場は息をのむ緊張感とどよめく歓声に包まれた。

今回はホールの定員を超える申し込みがあり、キャンセル待ちがでるほどの大盛況。
しかし、これで満足していたのではいけない。
このフェスティバルが呼び水となって、さらにマジックの輪が広がり
マジックで自己肯定感を身に付けた人たちが動き出してまちが元気になる。
それが最終ゴールだ。

やってみなわからん。
目標を掲げてとにかく動いてみる。仕掛けてみる。行ってみる。やってみる。
結果は後からついてくる。

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投稿者 Katsuo : 01:25

2016年10月18日

No.1747 木村塾やってみよう会10月度例会@

10月11日、大阪市北区の手品家梅田店で第95回「木村塾やってみよう会」を開催。
今回の「我が人生を語る」はマジシャンの忠本典大さん。
会場でもある手品家を運営する株式会社マジックポットで三宮店の店長を務める。
正統派マジックからコメディマジックまでこなし、テレビ出演や番組指導の依頼も受ける。

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1983年、大阪府生まれの33歳。
パチンコ事業を展開する経営者の家に生まれ、幼少期は何不自由のない生活を送った。
裕福だった暮らしが一転したのは小学校5年の頃。
阪神淡路大震災で家や会社の建物もろとも焼け崩れ、借金だけが残った。
「あったものがゼロどころかマイナスになると家の中もぎくしゃくして、
結局父は出て行きました。当時は私も思春期で母とも折り合いが悪く苦労をかけました。
大人になっていろんな研修を受ける中で母の大切さに気付きました。
今は母には感謝しかありません」。
華やかな舞台では伺い知ることのない「マジシャン、ノリ」の生い立ち。

マジックに嵌まったのも小学校の頃。
ミスターマリックのマジックに憧れ、見様見真似で覚えた。人に見せると受けた。
「マッチ4本の芸でほめられてめちゃうれしかった。この成功体験がいまの原点です」。

高校卒業後、建築士に憧れたが、「料理のできる男もかっこいい」と
調理師免許を取り飲食店で働いた。
調理師としての仕事も楽しかったが、傍ら店で余興にマジックを披露すると受けた。
「自分が本当にやりたい仕事はマジシャン」。次第にその思いが募り、飲食店を辞めた。
しかし、どこに行けば仕事があるのか。マジシャンとして自分を雇ってくれる当てもない。

ネットで検索して使ってくれそうな店に売り込み、しばらくは調理の仕事と掛け持った。
ある居酒屋では売上の1割を払ってもらう約束で引き受けたがお客さんが来ない。
ギャラ500円で受けた時もある。交通費を引くと時給300円ぐらいしか残らない。
お客さんから「怪しい」とトランプのカードを取り上げられ投げられたことも。
折れそうになる心と闘いながら、それでもめげずに営業活動を続けた。

流れが変わったのは「お客様目線で喜ばれることをするようになったこと」。
「以前の自分はオナニーしていているマジックだった」。
そのことに気が付くとあちこちから声がかかるように。
飲食店だけでなくホテルでのブライダルパーティ、レストラン、展示会、自動車ショールームのイベントなどに広がり、収入も1ステージ数万円になった。

人生の転機はマジックポットの社長、前田社長との出会い。
前田社長は「マジシャンでは食えない」という世間の常識を覆すべく、
「マジシャンを雇用して会社をつくり、マジシャンの地位向上と業界の発展に尽くす」
という使命を掲げ「2020年に上場、自己資本3億円」の壮大なビジョンに向かう。

そのビジョンや人柄に惹きつけられて2012年マジックポットに入社。
フリーランスの時と比べると、収入は減ったが、会社に入ると
働く目的を意識するようになりモチベーションが変わった。
「お客さんや仲間のために行動することで自分も成長できる。一人ですれば何時間も
かかることが、チームで考えたほうが、レスポンスも早くいいアイデアが生まれる。
困ったときには誰かが助けてくれる。幸せを実感しています」。

「付き合う人で自分が変わります。そして自分が変われば回りも変わる。
私のように根暗な自分を変えたかったら、明るい人のいる所に飛び込んでください。
コミュニケーションを取るのが苦手ならば、自分から飛び込んでください。
確実に変わります」とも。
入社後に職場結婚。パートナーは梅田店に勤務するマジシャンの「なっちゃん」。

三宮店の店長になってからはマジックだけでなく店舗運営や人材育成にも力を入れる。
それが、今は楽しいという。
「仕事ではマジックポットの役員になること。プライベートでは早く子どもも欲しい。
そして7年後、40歳には年収1,000万円を目指します。
そして同時に500万円を貯金します。月6万円貯金すれば手が届く。
一見遠い目標もきちんと計画すればぐっと身近になります」と締めくくった。

私は14歳で父を亡くし、家計を支えるために中学校も終えないうちに社会に出たが
父の死と、5人兄弟姉妹の長男であったこと、そして日本という国に生まれたこと。
この3つが私の原点だと思っている。
それが私を起業家への道へと導いてくれた。
3つのうちの一つでも欠けていたら、今の私はない。
逆境が人を育てる。立ちはだかる壁の高さはその人の器だ。
自分の置かれた環境に感謝することはあれ、1ミリとて恨んだり否定してはいけない。

また、忠本さんは現在勤め人なので、目標額は「年収」ではなく「貯金」で決めたい。
「年収」は会社ならば「売上」だ。
いくら売上げが高くても、経費が多く利益を確保できなければ会社経営はできないように
個人の家庭ならば、年収が高くても支出(浪費)が多ければ家計は成り立たない。
これに対して「貯金」額は会社でいえば、バランスシートの「自己資本」に当たる。
ビルで例えるなら、「売上(年収)」は建物で「自己資本(貯金)」は鉄骨や基礎部分。
いくら高層のかっこいいビルでも、鉄骨や基礎のないビルはすぐに倒れてしまう。
要(かなめ)は、自己資本であり貯金だ。

こんな私のアドバイスを受けて忠本さんは新たに
「50歳で貯金5,000万円をつくります」と宣言した。

お金はステージをつくる。この高い壁が忠本さんを飛躍的に成長させるだろう。
ちなみに私の人生は60歳からが一番成長したが、忠本さんはまだ33歳!
店長として経営者の階段を昇り始めた忠本さんのこれからに期待したい。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 同じ会社の上司や仲間の人生を聞く貴重な体験ができました。忠本さんがどんな考え方をし、何を目標にして生きているかが分かってよかった。知らないと応援、援助もできません。目標達成に向けてぜひ一緒に頑張りましょう。
・ 忠本さん、企業の社会的ビジョンを強くイメージしてください。まずは個人、チームからですが、大きなビジョンを持ってみるとよいと思います。
・ 久しぶりの「木村会長節」に触れて頑張ろうと改めて気が引き締まりました。たまに里帰りしないとあかんなと反省しました。大きな夢、ビジョンに向けて今もがいているので、なおさら木村会長節!!
・ 人生は誰に出会うかで大きく変わると今日の忠本さんの発表を聞いて感じました。そして自分自身の今までの人生を振り返り、多くの人との出会いに感謝します。
・ フリーランスで生きて来た中で、チームでやっていくことで気付いた忠本さんの言葉が心に残りました。
・ ビジョンの数字に基づいたプロセス=どうやって役員になるのか?どうやって店長になったのか?戦略、戦術が見えてこなかった。貴重な時間とお金を使って聞きに来ているのだから、その辺りをしっかり掘り下げてほしかった。シビアなコメントですが、幹部という立場で役員を目指す志の高い方なのであえて伝えさせてもらいました。

投稿者 Katsuo : 00:10

2016年10月08日

No.1746 大阪木村塾BS経営セミナー10月度開催

10月4日 大阪市北区にある手品家梅田店で第53回大阪木村塾BS経営セミナーを開催。
ゲストスピーカーとして有限会社サードパーティー代表取締役の濱田恵司さんに
お話しいただいた。
「トラックを持たない物流会社」を掲げ、物流コンサルティング事業を展開する。
2013年10月の「やってみよう会」に続いて3年ぶりの登場だ。
今回、BS経営を取り入れて以降の歩みを、決算書をオープンにして発表された。

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濱田さんは1969生まれ。
高校卒業後、大手酒造メーカーを経て大手運送会社のS社に勤務した。
巷では「地獄」と呼ばれ、軍歌が流れるようなハードな職場。
破天荒な個性派が活躍する中で月収900万円を稼ぎ出したこともある。
その後、阪神大震災に遭遇。家が倒壊し友人宅などを転々としながら救援物資を運んだ。
「商売人の意気込みを肌で感じた」体験でもあった。
S社には10年勤務。起業を決意した濱田さんは資本金3万円でいまの会社を起業した。

起業後の3年間は波乱含みだった。
畑違いの果物の販売に手を出して失敗したり、大口取引先の売掛金が回収不能になったり。
そんな中で縁あって木村塾に来られるようになった。
「それまでは社員の給料が払えたらいいというぐらいで理念もなく、何の展望もなかった。
PL経営で、税金を払いたくないのでどうやってお金を使うかばかり考えていた」。

第9期の決算書は自己資本180万円、増資した資本金550万円を加えても730万円。
前回発表ではBSビジョンとして「10年後に自己資本1億円を目指す」と宣言した。

それから3年。予想外の出来事で損失も出した年もあるが
全体としては目標のBSビジョンに向かって順調に推移し、
今期13期は自己資本2,000万円を超える勢いだ。
濱田さんは言う。
「理念とBSビジョンを持ってからは世界が変わった。計画を立てて社員に伝えるようになった。
数字を達成することで、従業員や家族を幸せにするという約束(理念)が果たせる。
私の強みは末来思考だと思うが、BS経営で本来の強みが出まくっている」と。

現在、同社の社員数は正社員8名を含め、パートを加えると従業員数46名。
「社員さんに給料だけでなく、ちゃんと退職金を払える会社でありたい」という。
ちなみに「社員一人当たり1000万円の自己資本があれば
不測の出来事で会社に利益が出せなくなっても2年間給料が払える。
退職金なら50万円×勤続年数」。その夢をBSビジョンに乗せる。

「わが社の強みはロボットから老人まで働ける、真のダイバーシティーを実現できている
点だと思う。シルバー、女性、ハンディをお持ちの方、多国籍スタッフ、すべての人が
自分の強みを発揮できる環境で活躍している。2030年自己資本10億円を目指していこう」。
最後に濱田さんは2026年10月4日付の こんな「10年後の自分からの手紙」を読み上げた。

経営は言葉と数字。言葉だけではだめだ。
数字が理念を引っ張ってくる。

BS経営は人をつくる経営でもある。
経営者を育てると同時に社員さんも育てる。
私自身、50歳の時にBSの威力に気付いて「BS経営」を展開したが
それから25年、この間に私とは桁違いのすごい社員がたくさん出て当社は急成長した。

そして、もう一つ。
強い会社になろうと思えば税金を払うことだ。
BS経営で自己資本を厚くするには税金川を渡らねばならない。
しかし、納税は経営者を「私利私欲」から「公利公欲」に変える。
経営者が「公」に変わったとき、銀行が、社会全体が味方についてステージが変わる。

起業家は自ら変化を起こす人。
変化は知恵を授ける。
濱田さんは変化を起こす人だ。
必ずこの大きな志を成し遂げるに違いない。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 「経営には答えがない」と分かった。会社に変化を起こしたいと思っている自分にとって新しい世界を見たいと思う経営勉強会だった。モチベーションが上がった。
・ BSビジョンをつくるに当たっての目安として「1人当たり自己資本1,000万円×社員数」「退職金=50万円×勤続年数」。勉強になりました。
・ ステージをひとつ上げようと決心したところで「BS経営」を知りとてもよかった。会社にお金を残せる社長になります。
・ 会社の経営計画を立てるだけでなく、目標をエクセルに落とし込んで進捗状況をチェックするなど濱田さんの綿密さに感動した。見習いたい。人として尊敬できる経営者の元に優秀な社員さんが育つのだと感じた。
・ PLを追うのではなくBS社員を育てる。BS経営は人を育てる。未来志向の考え方。数字で表す。
・ 社長の考えていることが今までのどのミーティングや経営方針発表会、会議、朝礼よりも一番よく理解できた。社長の過去やビジョンもよく分かった。社員だけでなくパートのスタッフも参加したらよかったのにと思う。
・ 今まで社長が話していたことがBS経営であることが分かりました。先を考えることでやりがいを感じました。いろいろ考えていける会社にしたい。
・ BSビジョン、純資産(自己資本)にこだわることが大事だと分かった。木村会長のBS経営への熱い思いが伝わりました。濱田さんの会社がなぜ加速したか?「経営理念達成のため」
という言葉にも感動した。とても勇気がもらえた。
・ BS経営のほうが業績が上がることが分かった。社内の勉強会もBS経営に連なっていたのだと知った。起業家とは2代目でも3代目でも起業家になれる。変化をチャンスにしてビジネスすること。新たな気付きです。

投稿者 Katsuo : 01:12

2016年10月07日

No.1745 横浜木村塾 第15回セミナー開催

9月26日 横浜市開港記念会館で横浜木村塾 第15回セミナーを開催。
セミナー前に海老名市で薬局を多店舗展開するÅ社を訪問。
BSビジョン策定のお手伝いをさせていただいた。

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18時半からのセミナー。
会場では開催前に申し込みのあった3社より経営相談を受けた。
スタートから丸5年を迎えた横浜木村塾。定期開催としては今回が最終回だ。
ゲストスピーカーに福井県あわら市のファーストトレード(株)代表取締役 
三上良平さんを招いて体験を話していただいた。
強いBS(バランスシート)をつくる「BS経営」を忠実に実践する三上さん。
インターネットを使ったグローバルビジネスに挑み、
資本金100万円の会社をわずか6年で1億5,000万円の自己資本を持つ優良企業にした。

三上さんは福井県生まれの39歳。
トラック運転手をしていた31歳の時に「運転手をしながらできるビジネスを」と
中国から品物を輸入してネットオークションで販売するビジネスを始めた。
それなりに儲かり、1年後にドライバーを辞めて起業したが
間に頼んだ輸入代行業者がズサンでトラブルが続出した。
そこに目を付けた三上さん。「自分が代行業者になればビジネスになる」と閃いた。

しかし、中国語も英語も苦手。そこで、中国人のビジネスパートナーを探そうと
同業者の集まるネットの掲示板に「日本語で」求人募集。
なまじ言葉ができないことが幸いし、
日本語や日本に精通する有能な現地パートナーが見つかった。

現在、中国では上海の近くの郊外都市に現地法人を設立、スタッフ50〜60を抱える。
2013年から新たに以前から興味のあったオリジナル・メンズバッグの企画製造に着手。
バングラディシュでの製造に続き、イタリア・フィレンツェで買い付けた商品も販売する。
さらにバングラディシュのマングローブでソフトシェルクラブ(蟹)の養殖事業も始めた。

経営で大事なのは売上ではなく、自己資本。
自己資本は簡単にいえば会社の貯金だ。
資本金100万円でスタートした同社は、わずか3期目で自己資本900万円を達成した。
私もこれまで何千社もの決算書を見たが、こんなに勢いのある会社は初めてだ。
なぜ、そんなことができたのか?  
驚く私に三上さんはこう答えた。
「自分は高卒で勉強していない。木村会長に貯めろと言われたから頑張って貯めただけ。
お金をBSの下(自己資本)に貯めろと言われて、それだけをやってきた」と。

結果に感動した私は3期目の時に1000万円出資し、株の30%をもらった。
これを弾みに同社の自己資本は4期目に1億円、現在6期目は1億6,000万円になっている。
いま、株主である私の持ち分は4,800万円になる。

株主は売上高ではなく、経常利益でもない、税引き後、いくら残したか。
自己資本に対して どれだけリターン(当期純利益)を生み出したか(=ROE)や、
自己資本に対していくら稼いだか (=ROA)を見る。
私という株主を持つことで三上さんの経営は「株主目線」になった。

三上さんはBS経営のメリットを次のように話す。
「年1回の経営方針発表会に銀行を呼ぶと最初は1行だけだったけれど、今年は銀行5行。結果を出すと銀行が食いついてくる。最初は貸してくれないモード。
ある日突然借りてくれモードに変わってくる」。
BSは経営者の通知簿。
自己資本を厚くしていいBSを持てば、資金調達が容易になり、事業が好循環する。
さらに「BS経営をするといい人財が集まる」とも。
現在、財務を担当する幹部社員は、最初に融資を断わられた取引先銀行からの転職者だ。
財務に強い社員を置き、銀行を味方に付けると経営者のステージは桁が変わる。

経営とは「人・カネ・もの」という社会資源を活かして、10倍にも100倍にもすること。
日本はお金が余っているのに起業家になりたい人が極端に少ない。
銀行ではこのお金を使って儲けてくれる借り手を探している。チャンスがいっぱいだ。

仕事のステージが上がり世界に広がっても、同社の本社は あわら市のまま。
三上さんはいま、趣味のサーフィンができる神奈川県の湘南に住み、
あわら市と上海とダッカやフィレンツェを往来しながら仕事をする。

観客席からの質問も続出し、5年間の締め括りにふさわしい活気あるセミナーになった。
これからもリクエストいただければ、いつでもお話しさせていただくが
長期に渡ってご尽力いただいた松尾塾長をはじめスタッフの皆さん、
参加してくださった皆さんに心からお礼を申し上げたい。

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☆いただいたアンケートより抜粋

・ 変化をチャンスにして捉えるにはとにかくやってみる」。スピード感がとても大切だということが、いつもにも増して響きました。
・ 「BSビジョン」。初めて聞き、新たな経営始点があると学びました。やらないと分からない。公言する。安全を変化に変える。気付きの多い研修でした。
・ BS経営の実務者である三上さんのお話しは説得力がありました。行動力、すなわち機会を生む。実感します。
・ 背中を押されたような、一歩を踏み出すきっかけになりました。
・ 「適正自己資本比率20%」。他人の金を引っ張ること。ステージを上げること。自分はまだまだ安定指向であると反省しました。
・ 今まで言い訳ばかり言っていた気がします。すべてをチャンスととらえて日々を過ごしていきたい。自ら公言し、行動することでチャンスをつかみます。
・ 変化をチャンスに変えるのが起業家。ROE・ROE。出来ない理由を並べ立てない。変化こそ成長のきっかけになる。やっていこうと思いました。
・ BSビジョンへの思いが復活しました! 意識して社員を巻き込み、よい会社を築いていきます。
・ 一社員ですが、わが社はPL経営かと思います。人を育てる。資源・資本を殖やす。ビジョンを公言することの重要性を学びました。
・ 変化はチャンス。安定は逃げているだけ。経営方針発表会を開く。みんながやれば価格競争が起こる。株主視点での経営。新しい考え方をたくさん得ました。
・ 「BS経営が人財育成となる」。「行動がすべて」。大変心に残る言葉でした。
・ 経営は頭ではなく「情熱」。心の中が燃えてきました。「やってみないと分からない」この言葉を刻みます。
・ 銀行から資金調達して会社を成長させる。一般に言われている「自己資本比率を上げろ」。その考え方は無いということがよく分かりました。

投稿者 Katsuo : 00:19

2016年10月01日

No.1744 2016年9月度 実践目標の進捗報告

ようやく秋の気配を感じるようになったが、もう10月。
今年も4分の3が過ぎた。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

私はおかげ様で体調もよく、どの実践目標も着実にゴールに向かっている。
9月末には5年間続いた横浜木村塾の定期開催が最終回を迎えたが、
時間的に余裕が出てきたので、暇さえあれば写経とフロア昇りに勤しんでいる。

写経は年間目標の500枚を軽く超えた。
この調子なら年内に累計5,000枚にも届きそうな勢いだ。
また、始めた当初には結構きつかったフロア昇りだったが
最近では足取りが軽く、1日平均110階を昇っている。
このままいけば80歳でキリマンジャロ再登頂も可能ではないかと思えるほどだ。

食生活も肉中心の外食から野菜中心の家メシになり、
アルコールに代わって温野菜や果物が食卓をにぎわしている。
そのおかげだろう、快食、快眠、快便。
ベスト体重、ベストバイタルをキープし、何より体が軽い。

まさか、自分がこれほど健康管理に気を配る人間だとは思わなかった。
日々の運動は、歳をとると継続することが難しいといわれるが
数値目標を持つことで、暮らしを輝かせる愉しみに変わるのだ。

日々是好日。
ええ人生、ほんま幸せな人生を送らせてもらっているなぁ、と つくづく思う。

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☆では、私の9月度実践報告を

・減量、減塩、断酒
・万歩計365/500万歩
・ヘルスケア、フロア階(3ⅿ換算)21,577/20,000階
・登山8/20回

・読書78/30冊
・英会話51/50回
・写経4,720/4,500枚(累計)

・大阪木村塾受講生 1,022/1,800名

・益田市活性化への
「第一回マジックフェスティバル」
「デザイン思考講座」

投稿者 Katsuo : 01:47

 

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